登勢は掃き終った後のすがすがしい玄関に打水をして、色とりどりに咲き乱れた百日草の花を
飾り終えると、じっとりと汗ばんだ肌にも涼風の入りこむ心持ちして、今しがた活けた
ばかりの草花を悦惚として眺めていた。
荒々しい靴音がして、はっと我に返った登勢はそこに不機嫌な夫の顔を見た。
「あら〃お帰りなさいませ。」「・……。」「もう・・」「・……。」「大層今日は早かったのね。」
何もいわずに靴を脱ぎすてるとそのま、さっさと奥へ入って行く夫の後を追って行きながら登勢は
うきうきしていた。
ギラギラと照りつける太陽の下をテクッた後の汗ばんだ神経の苛立ちとのみ夫の不機嫌を解して
「暑かったでしょう!!」。と上衣を受け取ろろとした彼女の頭上に突然落雷した。
「馬鹿野郎!。」あっけにとられたかたちで登勢はまじまじと
夫の顔を見つめていた。「花など飾りやがって! そんな花があれば佛壇にでも立てておけ!。」
「そう、でもどうしてそんなにお怒りになるの?。」「うんお前は何も知らないんだな。」
急に憐欄の情が夫の顔にひらめいて自分にとも登勢にともつかぬ調子で自嘲的に投げつけた様に
云った。
「おい!。 無条件降伏したのだぞ!。」「えっ!。 何処が!。」「どこが?。 日本がじや!。」
登勢は自分の耳を疑った。すーと頭から血の気が引いて無意識にふらっふらっと勝手口から戸外
に出た。 そこには丹精して作った百日草の花が花壇一ぱいに美しく咲き誇っていた。
しかし先程まであれほど強烈に照りつけていた日光は夕暮れの疲労にみちた光に変っていた。
「あゝ日本は敗れたのだ。」「御国は敗れたのだ。」茫然として登勢はいつまでもいつまでも衰えた
夕日の影をながく尾に引いて立ちつくしていた。流れおちる頬の涙をぬぐおうともせずに………。
翌朝
登勢は主人を隊へ送り出した後で子供の相手をしながら掃除をする気にもなれず取り散らした
座敷の真中に座したまま、自分の精神が何処かへ持ち去られた様な空虚さをあつかいかねていた。
彼女は二人の幼い者たちの目が母親の何か異常さに無言のまま、吸い寄せられている痛い様な
凝視を 感じつつこの幼い罪なき者にこれから負わされるであろう負担に対して不安とも憐憫とも
つかぬ感情が 荒々しく波打って来るのだった。
「おかあちゃんどうしたの?。」「いや何でもないのよ。母ちやんが馬鹿なのよ。本当に馬鹿よ。」
「あのね、おかあちゃん、僕の防空帽子もっとよく縫いなおしてよね。」「良子ちゃんのもよ!。」
「あー、あー、あー、だけどもう必要なくなったのよ。」
あの苛烈を極めた空襲が終ったのだ。あんなに欲していた平和が思いもかけぬ姿をして
現れたのだ。
彼女の描いていた平和は貧しくとも芳わしい栄光に包まれた輝かしい平和の筈であった。
こんなみじめな敗戦の平和をば 考えた事もなかった。小さな狭い国土の日本!!
”寒帯から熱帯迄、東北から南西に長い日本の領土〃 そこに育まれた大和民族は寒さにも
暑さにも 強く世界全土に適応出来る黄色人種である。そして徳川三百年の鎖国によって純粋に
保たれた民俗文化、国学や武士道によって培われた清廉豪気の気風、儒学による敬神崇祖の念に
厚い民族!。 狭い国土と資源の不足が必然的にもたらした工夫好きな勤勉実直な国民性、
機械文化の進んだ西洋文明と精神文化の高い東洋文明を合わせて理解出来る民族!。
その民族によってこそ東洋の平和がひいては 世界の平和が統べられると、信じていたのだった。
その輝かしい平和を念じて、昨日まで「東洋平和の為ならばー。何んの命が惜しかろう!。」と
歌って来たのではないか、戦況も世界の状勢も何も知らずに!!。そして何も知らされずに、
「こんな事ってあるだろうか?こんな事がー。」
登勢は昨日までの張りつめていた意識が、混沌として全身から気力が抜けてしまった状態にあった。
昼過ぎに夫の吉田軍医は帰宅した。
「風呂でも浴びようか。」「はい。」「お父ちゃん!。お父ちやんと一緒にはいる。」
まつわりつく様にして繁一と1才八ケ月の良子ちゃんが浴室へ駈け込んで行く。その可愛ゆい
後姿に おぼえず微笑まされながら、登勢が夕飯の仕度をしている処へ「御免下さい。」と
物静かな声がして、えび茶色に紫紺の麻葉模様の上衣、揃いのモンペをはいた山中副官の
夫人が見えた。
「町に暴動が起きているそうですから注意して下さい。」
「まあお忙しい中を御苦労様でした一体どうなるのでしょうね」「本当にこの先どうなる事で
しようねえ」 近視の夫人は眼鏡の奥の瞳に不安のいろを湛えて「失礼しました。
御免下さいませ。」と砂礫のころころ道を静かに帰って行った。
まもなくささやかな夕飯が始まった時だった。「ざっざっざっざっ。」軍靴が砂礫を
飛ばして聞こえた。「当番人ります。」の声と共に玄関に福岡二等兵が現われた。
「只今、平壌市内に、約二千人余りの暴徒が、 暴動を起こし、平壌神社が焼打にあい、
神主は自刃の報が入りましたので全員緊急召集であります。
なおトラックが営兵所前に待っています。終り」。「御苦労様。」の声と共に夕食を
かきこむと、もう夫は立っていた。
静かにカバンを開くと、注射器をとり出して、立った儘手早くB15mlを皮下に注射
すると、「お前達もB1をさしておけ、もう最後になるかも知れん、後をたのんだぞ。」
「はい。」ピストルを帯びて、軍刀を掴んだまま、靴をはく間ももどかしげに駆足で走り出た
夫の靴音を聞きつつ登勢は心に叫んでいた。
「大丈夫です。子供達の事は確かに引受けました。」
母の自覚が強く意識をとりもどして来るのだった。
やがて子供達の夕食を終えて戸外に出ると、官舎の婦人達が五.六人食堂前の広場に集まって
いるのが見えた。「奥さん!。」「いらっしゃいよ!!。」柳沢夫人が声をかけた。「ええ。」
登勢は緊張からさめぬ昂奮した心臓の動きを感じつつ、静かに家庭菜園の細いあぜをわけて、
皆の方へと歩んで行った。
皆誰もかも涙に洗われたような顔を、不安げに曇らせていた。鹿児島生れの橋口夫人が
「一体どうなるの ねえ、 こんな事ってあるもんですか!今更になって、
無条件降伏もあるものね。朝鮮人に馬鹿にされるの事は、判っちょるよ。今に暴徒が増えるよ。
この辺まで来ればもう、女や子供の力ではどうなる事かねえ。
私達みたいに七年以上も朝鮮に居る者は、内地へ帰ったとて、どうにもならんのに、
外地に居る者が一番つまらぬわね。今まで世界に誇っていた歴史も、なにもこれで
めちゃめちゃよ。皆!これでいいの?
ああ!! 残念な事!。いっそ!!空襲の時に、一思いに死んだ方が
良かったわ。どうして最後の一兵まで戦わんかったのでしょう。
アッツ島や特攻隊の人々に何と言って、お詫びが出来るのね!。」
まるであたりに居る者迄はじき飛ばされそうな勢であった。
橋口夫人は涙に埋まった様な顔を上げて皆を睨み廻す様にして、頭を振り振り地だんだ
踏んでいるのだった。
後を柳沢夫人が引き取った。「うちの主人だって昨夜はとっても昂奮して寝ないのよ。
軍刀を抱いたま、離さないのだもの、もうおっかなくって寝られやしなかったわ。
「俺は十八の時から志願して三十年 御奉公第一に務めて来たのに、一生の苦労が
水泡に帰しちゃった。」といって私にくってかかるのよ。」
「一体何の為に俺は御国につとめて来たのか?俺は本当に軍隊だけの人間だったのだよ。
俺の人生なんて軍隊なしにありゃしねえんだから!。」って大の男が軍刀を抱いて
泣いているのよ。
私が黙っているものだからねえ、「おい幸子、おい栄子!。」って子供にくどいているのよ。
私も遂々一睡も出来なくて今日は頭痛がしてしょうがないわ。」
柳沢大尉は経理主任として真面目な堅人でとおって居た。二等卒から務めあげた人だけに、
兵科の事には委しく厳格な人だったが、生来は磊落な淡白な性格の持主であった。
家庭は一男(一才九ヶ月)(良子一才八ケ月と同じであった)二女(長女の幸子小学校四年生、
次女栄子小学校二年生)の明るい声の満ちた家だった。
「でもねえ、私は空襲が終って有難いと思うわ、産後二日目に、赤ん坊を抱いて防空壕へ
入っていた時の事を思えば泣きたくなる程だったわ。
三人とも子供が小さいでしょう。主人は居ないし、子供は外に出て行こう、出て行こう
とするしね、暗くてむんむん暑苦しい壕の中でおしかぶさる様な死の恐怖を感じていた
気分なんて本当に情なかったわ。
でもこんな馬鹿げた戦争をどうして始めたのでしょうね。」
そういってはっと溜息をついたのは、御主人北野中尉が野戦部隊の中隊長として南鮮へ
出動された後出産された北野夫人だった。
登勢はその時、大東亜戦争に突入直前の米国が行った資産凍結!各国の日本に対する経済
封鎖!! 中野正剛氏の演説会での公憤!等々等、ちらっと様々の事柄が、頭をかすめた。
「戦争に負けて、これから日本は一体どうなるのでしょうね。」
上敷領夫人がつぶやくように溜息をついた。「本当にねえ〃。」登勢はこよなく祖国を
愛していた。
小学校三学年の国語読本の巻頭に、「大日本」と言う詩がのっていて新学期の始めに、
よく高らかに暗誦したものであったが…、 それにも「大日本、大日本、すめら御国の
大君は、我等国民九千万を我が子の如くおぼしめされる」と〃義は君臣で情は父子〃
という世界に類のない国体が謳歌してあった。
神代このかた一度も他国に侵略された事のない、誇りに満ちた国!、二千六百余年の間
連綿と続いている皇統や忠孝の二字に貫ぬかれたお国柄は、如何なるのであろうか。
敗戦によって日本が植民地や属国にされる心配は無いのであろうか。登勢だけでなく
夫人達の殆んど不安と失意の中に在りながら、日本の行末を心配して、一瞬沈黙が皆を
支配した。その時、「ぶーぶー。ぶ-ぶー。」という警笛と共に
凱旋将軍の様な勢で、トラックが走って来た。トラックが部隊長官舎前の広場に止まると、
一番に柳沢大尉が、続いて山中副官が、そして次々と元気に満ちた顔が下りたった。
「あら!!皆帰られたわ。」婦人達は皆ほっと活路を開いたような顔になって
各自の官舎へと向った。
登勢は途中柳沢大尉に出会った。彼はいつもの磊落なバスで、「やあ、奥さん。
心配しなくてもいいですよ。 まだまだ馬鹿になんかされるもんですか。
すっかり暴徒は治まっちゃいましたよ。」
と言って大きく呼吸しつつ昨夜の欝憤が幾分か発散した様な表情で歩んで行った。
その夜。婦人会の集会があった。
すっかり夜のとばりに閉ざされた頃婦人達は部隊長官舎前の広場に集まった。
すぐ前の山にうがたれた横穴式の防空壕が不気味に三つの入口を見せている前で、
皆は声もなく並んで居た。
薄暗い懐中電燈の光に照らされて部隊長と副官の顔が見られた。痩身な部隊長の沈痛
な面差が会員の方へ向けられて静かな声で、「この度この様な思いがけない結果で終戦と
なりました。あちらやこちらで自刃の報を聞きます。本日も○○曹長夫人が一首の辞世を
残して御主人の後をおって自害されました。
今の場合その是非論は後にまわして、皆様はどうか強く生きて頂きたいのであります。
一時の感情に駆られる事なく、恥をもしのび自己を殺して故国の再建の為に歩んで頂きたい
のであります。
その中に帰国の命令が出ると思いますからその用意をしておいて下さい。
けれども今度の帰国は決して大名行列ではない。勿論、物見遊山の旅でもない。落武者の
旅である事を覚悟しておいて下さい。
汽車は貨車が用意され、特に病人子供には有蓋車が用意されていますから、
そのつもりですぐに準備をすすめて下さい。委しい話は山中副官よりして頂きます。終り。」
つゞいて山中副官より、細部に渉って荷物の作り方から食糧の事に.至るまで話があった。
召集になる以前は八百屋さんであったという副官はでっぷりとした商人によく見かける
饒舌家タイプの持主だった。
したがって大山中佐の痩ぎすな長身や無口の性格とは奇妙な対象をなしていたが
誰一人笑う者もなく、却ってこの場合悲壮な印象を与えた。
副官の静かな口舌が陰にこもって丸で墓場にでもふみ込んだ様な静寂と鬼気があたりに
こめているのだった。
おしかぶさる様な山肌からも、ぽっかりと口をあいた岩穴からも底知れぬ冷気が伝わって
くる様だった。
「皆様御苦労様でした。今日はこれで。」という大山部隊長夫人の挨拶で
やっと散会になった。皆は逃れる様に星一つない闇路をさぐりさぐり各自の官舎へと帰った。
翌十七日、主人が部隊へ出勤した後、登勢は衣類の整理をして居た。「奥様、いらっしゃる?。」
声がして出て見ると、楠本夫人であった。
「いつも繁一がお邪魔をして相済みません。」「奥様に一寸御相談があって!。」
「まあどうぞお入りになって下さい。」登勢は思いつめた楠本夫人の顔を見て夫人を招じ入れた。
楠本夫人は全で日本人形の様な色白の、女優で言えば山本富士子によく似た素敵な美人であった。
お似合の御夫婦で、御主人の楠本少佐は陸士出身の颯爽たる偉大夫であった。少佐との生活は
末だ一年そこそこの蜜月の状態で残念な事には子供がなかった。
楠本少佐が南鮮へ出動された後は独りひっそりと暮して居られたが、繁一を何時も可愛がって
まるで小さい弟の様にしてよく面倒を見て貰っていた。
「こんな状態になったので私、南鮮へ行こうかと思うのですが。」「独りでですか?。」
「ええ。」 登勢はまじまじと美しい夫人の顔を見つめた。そこには夫の安否を気遣う
張りつめた若い妻の顔があった。
登勢は口には出さなかったが、昨日二五0部隊でも若い独身将校達から〃切り死〃説が出て
殆んど賛成に一致しかけたとか、南鮮の斉洲島附近では 激しく戦っているという噂を聞いて
いたので何としてでも夫人を留めたいと思った。
「危険ですわ!どうにか平壌市内の治安はついたらしいですが、
それも〃暴徒が鎮圧された〃というだけですから奥様が独りで行かれる事は大変危険です。
思い止まられて私達と一緒に
内地へ帰られないですか? 一緒に帰りましょう!。」
「私は平壌へ行って見て汽車に乗れれば南鮮へ行きたいと思うのです。ねえ、奥様〃親子は一世。
夫婦は二世〃というでしょう。 主人の生死も確かめたいし、若しかの時は独りで生きて
いるよりは自刃してどこどこ迄も一緒にと言う気です。
昨夜のお話の後だし、他の奥様方に知れると、「出動した夫の後を慕って行くとはー。」
「軍人の妻が。」という非難を受けるでしょうけれど---。私は〃夫婦は二世〃という契りに
忠実でありたいのです。」
楠本夫人の目には涙が宿っていた。登勢はその涙に 夫に自分の人生の総てをかけた一途な
女心を見る思いがした。
「そこまで奥様が思われるなら反対致しませんわ。」
「今から出来るだけ連絡をつけて貰って明朝出発しますわ。皆様に知られたくないから朝早く
こっそり発ちます。だから決して送らないで下さいね。
三日たっても帰って来なければ成功です。無事に南鮮へ行ったと思って下さいね。」
「奥様どうか命を御大切にね。御成功を祈って居ますよ。」
「お陰で決心がついて元気が出ました。奥様もお元気でね。」登勢と楠本夫人は互いに手を取り
堅い握手に気持を托した。
二人共言わず語らずに、これが今生の別れとなる事が胸一杯に広がって来るのだった。
何か言えばおえつになりそうで二人の上に長いようで短い無言の数分が過ぎた。………
「さようなら!」「さようなら!」「繁一ちゃん!良子ちゃん!さようなら!」
挨拶も短く別れを告げて楠本夫人は自分の官舎へと帰って行った。
朝まだき東の空が静かに白んで来た頃!北側の山で「カッコー」「カッコー」と鳴く鳥の声を
聞きながら楠本夫人は 誰にも知らさずに秋乙の官舎を出た。
前日の午後にやっと楠本少佐と連絡がとれたので南鮮の太田へ向って、心は弾んでいた。
主人が生きて いることが判った今は、 荷物は問題でなかった。「身体一つあれば」
という夫人の身を案じて、官舎付の芦田上等兵は、 前日作った小さな梱包を持って夫人の
後から平壌駅迄送って行く事にした。
秋乙から平壌へは山を越えるのが一番の近道であった。戦争が終った現在、山には監視の
兵士の姿もなく、石ころの多い赤土の露出した山道には処々に生えた茅草や大ばこの葉が
朝露に光っていた。閑古鳥の鳴声が あたりの静寂を破って聞こえる以外は、深閑として大地で
起っている世紀の大変遷も未来永劫に続くであろう生きる為の様々の葛藤にも、そっぽを向いて
山は無気味に静まり返っていた。
楠本夫人は三角巾で頭髪を包み、モンペに運動靴をはいて、背には三食分のおにぎりと
飯台に一升の米と 当座の身の廻り品を入れたリュックを担って 水筒を肩からかけていた。
夫人は草露にモンペの裾を濡らしながら足早に歩を運んで行くのだった。淡い鼠色に濃紺と
えび茶のこまかい縦縞模様の渉い塩沢お石の上衣に揃いのモンペをはいていたが、
地味な装いの下には却って二十才に未たない彼女の若さが芳う様だった。
芦田上等兵は、(この博多人形のように美しい夫人を何としてでも南鮮の少佐殿の元まで
無事にお送り致さねば!)と任務に忠実である事以上に気負って歩いて行った。
山を下って平壌の町へ出ると、街はひどく混雑していた。整然と日本軍の治安の下に
あった町は、変貌しつつあった。 たどりついた駅頭は混乱に混乱を重ねていた。
八月九日、ソ連は参戦と同時に、手薄な国境を突破した。北満になだれこんだソ連軍は怒涛
の進撃をして終戦と共に迅速な進駐を開始して少数ではあるが、すでに十六日の夜には
平壌に到着していた。
大部隊を続々と繰込む為に、明後日には全列車が止るという噂が噂を呼んで駅の構内は
日本語と朝鮮語が飛び交いニンニクのきぶい程強い匂いと暑気の中で、人間が蚕動している
有様であった。
切符は手に入れたものの、、列車に乗れない人々は列をなし、喧嘩さわぎがホームの彼方、
此方で起っていた。 人波をかき分けかき分けて芦田上等兵が列車の窓から無理やりに
夫人と荷物を押し込んだのは正午に近かった。
「ごとり。」「ごとり。」二つ大きく揺れて南鮮行きの列車は暑気に当てられた牛が、
重い荷物を引く如く動き始めた。 楠本夫人は、激しく燃える思慕を胸に一路太田へと
向うのであった。
一部::第2章:夕焼け
第2章 :夕焼け
登勢の主人は、朝鮮平壌府の第二百五十部隊の高級軍医であった。一九四四年五月までは、
内地の某大学病院に眼科講師として勤務の傍ら研究を続けていたが、召集されて、平壌の
部隊に配属されたのだった。
登勢もその年の十一月に二児を連れて平壌近郊の秋乙の宿舎へ呼ばれて来たのだった。
秋乙のその辺一帯は、官舎地帯になっていて、マッチ箱の様な家が、二軒ずつ一棟になって、
ヒバの生垣にかこまれて行儀よく並んでいるのだった。
北は岩石の露出した様な赤肌の山々が樹木と言うよりは灌木と言う方がふさわしい様な
矮小な松の木をわずかに置いてなだらかな勾配を見せていた。その山々に面して部隊長
官舎と食堂があった。
食堂では平素独身将校の食事が用意されるのであった。六十才過ぎた中村というお婆
さんがそこを切盛りしていた。
中村婆さんはでっぷりと太ったなかなかの気丈夫者で、官舎当番の兵隊さんもこの婆
さんにかかってはかなわなかった。
登勢が聞いた話によれば、昔、若い頃には左褄をとっていたことがあったとかで、
小唄など仰々達者な由だったが、黒く日に焦げた婆さんの風貌からはアルキメデス
でも一寸、意気な姿を推理するのはむつかしいと思われた。
又大変な猫好きで、いつも七、八匹を数える猫が食堂の廻りに飼つてあって、若い
兵隊さん達がいたずらをすると、さあ大変!婆さんは黙っていなかった。
食堂舎の前の広場は砂場になっていてそこには古ぼけたブランコが二つ立っていた。
街を遠く離れたこの辺ひな土地にあって、絵本も玩具も手に入らぬ官舎の子供達に
とってはこの場所が唯一の遊び場なのであった。
砂場の横手は、各官舎の家庭菜園で、各自の官舎の標識がしてあって、婦人達が或いは
官舎の家族達が丹精のなすびやトマトが、思い思いに植えてあった。
登勢は赤く熟れたトマトをちぎりながら、昨日別れた楠本夫人の上に思いを馳せていた。
彼女は平壌の街を全然知らなかった。ここから西北へ山を越えた向う側に位置している
という位で、昔、日清戦争の時、原田重吉上等兵が一番乗りをしたという城門(玄武門)
や牡丹台の事も話に聞いただけであった。
ぼんやりと西の空に瞳を上げると、真赤な真赤な夕焼空に鳥が二羽北へ飛んで行くのが見えた。
「ギンギンギラギラ夕陽が沈む!」そばでしーちゃんが無心に歌い始めた。
「真赤っか---空の雲、皆のお顔も真赤っかー。」
山麓に位置した秋乙の官舎では、夜が明けるのは遅かった。「カッコー」「カッコー」とよく
響く郭公鳥の声に眼を醒まされ、涼しい風が軒端の風鈴を鳴らして朝が訪れたと思う間もなく、
気温は昇り始めるのだった
。
午前九時前からもう気温はうなぎ昇りに上昇するのが常であった。楠本夫人が秋乙を出発
したその翌日も、次の日も、雲一つないお天気で太陽がカンカンと照りつける食堂前の広場
には部隊から様々の品物が運ばれた。米俵が運ばれ、煎った糠粉が袋で配られ、牛肉の缶詰
にお醤油、お味噌、そして砂糖というふうに沢山の品物が分配された。
「まあ!!こんなに沢山頂いて私宅には器(うつわ)が足りぬわ!!。」配給の僅かな
米穀に代用食で毎日の食事の工夫を凝らさねばならなかった夫人達は、あっちでも
こっちでも嬉しい悲鳴をあげていた。
今まで窮乏生活にあえいでいた人々にとってまるで夢の様な生活が展開された。長い間の
燈火管制から開放されて官舎には赫々と灯がともり、これまでなかなか手に入らなかった酒だ、
肉だ、油だの入手に歓喜した人々は天婦羅だ、すき焼だ、今日はぜんざい、明日はおはぎ、
という様に来る日も来る日も頭痛がする程甘い物や御馳走ずくめだった。
「配給物です。」の声と共に石けんやマッチまでが配給された。坂元少尉の夫人が不思議
そうに口火を切った。
「ねえ、こんなにいろいろと配給して貰って敗戦になったと言うのにどうしたのでしょうねえ。」
「丁度夕焼がしているのよ。夕陽の沈む前のあの華やかさだわ。」河島少尉の夫人が受けて答えた。
夫人連中はどぎまぎして喜こんでいいのか、悲しんで良いのか分らぬ状態にあった。荷作り用の
綱からテント迄配給になり、皆帰国の準備に心忙しくしていた。秋乙に居た日本人の殆んどは
戦争終結のいきさつについては何も知らなかった。
独領ベルリン西方のボツダムやクリミヤ半島のヤルタで、三月頃から四ケ国による会談が行われ、
ソ連の参戦についても、 ドイツの降伏以前から様々の工作がなされ、ソ連の参戦は当然の帰結で
あった事等も、夫人達は誰も知らなかった。
ソ連にうまうまと一杯食わされている事に気の付いた者は居なかった。
登勢も太平洋戦争で米国と戦っていたと言う思いばかりが強く、ソ連軍は接収が終れば自分達
日本人を内地へ送還して呉れるだろうと楽観していた。
それに登勢は〃ポツダム宣言〃や〃ヤルタ協定〃にあった(軍人は本国に還えして平和産業に
従事させる)の条項を信じていた。
戦争相手国の米国で然り。ましてソ連は日本と最近迄停戦不可侵協定を結んでいた国なのだ。
ドイツがレニングラードを攻略した時も日本は攻略に加わらなかったではないか!!。
内地へ帰る貨車が用意されるのも近日中であろうと誰もが思っていた。
登勢は子供達を無事に内地へ連れ帰る為に生活必需品だけを荷作りして荷物とし、道中の食糧と
しては容易に持てるだけのお米と、煎った糠粉、砂糖と塩を少量持ち、一日も早く遅くとも
九月上旬には帰れると思っていた。
後になってそれらがソ連を好意的に甘く見すぎた考えであった事に気がついた時には〃時既に
遅かった〃 のだが。
宝の山を前にしてカシムが「開けゴマ!!」の一句を忘れたように大切な帰国の時機が逃れて
しまうのをだれも知らなかったのだ。
司令部から〃帰国命令〃が出るのを待っている間にも帰国への門の扉がだんだんと閉ざされて
いるのを、神ならぬ身の知る由もなく、 果敢ない夢を結んでいた。
二日たった昼過ぎ、登勢は大きな音がしたので戸外に出て見ると、トラックがマセック(大型の
純粋無煙豆炭)を積んで、登勢の官舎の前に止まっていた。真黒に汚れた兵隊さんが二人汗
だくで、スコップを奮っておられる。
ガラガラガラ。ガラガラガラ。ガラガラガラガラ!。トラックからなだれ落ちて山を築く
マセック。黒い粉が舞う。
兵隊さんの日焦けした肌が汗で日光を反射してキラキラと光る。
「まあ!沢山に済みません。お暑かったでしょう。どうぞお風呂で汗を流して下さい。」
登勢はそう言いながら砂糖水を作って持って出た。
「いえ、ゆっくり出来ないのです。今日の中にあちこちへ運ばないと燃料廠が、もうソ連に
接収されますから。」といって、砂糖水を飲むと兵隊さんは、ゆっくり腰を下ろす間もなし
に一刻を惜んで、トラックにエンジンをかけると出発して行った。
平壌附近一帯は上質の炭層が沢山あってそれは近くの海軍燃料廠で、マセックに作られ特に
〃海軍マセック〃という名で皆に重宝がられて、戦時中にはなかなか家庭への配給はなく、
登勢などはそれまで余り見た事もない代物であった。
登勢は沢山のマセックの山を前にして、一寸持てあつかいかね気味であった。
とにかく物置ヘバケツで運ぶ事にしてスコップで掬いながら暗い予感を覚えるのであった。
「内地への帰還が遅くなるのではないだろうか。それならば燃料は大切にしないと…。この
官舎で 冬を迎えねばならぬのだろうか?。
まさか寒くなる迄秋乙に居る事はないだろうが。おんどる(土で煉った床の下から火を焚いて
室を暖かくする)を焚く頃までに帰れないのかもしれぬ……。」
様々の憶測が登勢の胸の中で真黒になって、マセックと一緒に転がり廻るのだった。
そこへ「防寒服の配給であります。」大きな声がして見るからに暑くるしい、ボタボタした
毛皮で、部厚く裏打ちされた外套がはこび込まれた。帽子も、長靴も内側は毛皮であった。
それに純毛のシャツ、股下、重たい様な靴下や手袋が配られた。
今迄北満警備兵の写真でしか見たこともない様な代物ばかりである。「うわ!すごいぞ!
すごいぞ!。」長男の繁一は大喜びで、それ等に埋まる様にして、ブルブル汗をかきながら、
長靴をはいたり、外套をかぶったりするのに余念がない。 汗一杯の顔で挙手をして、
「当番入ります。」を繰返しているのだった。
彼方!此方、からは酒宴のどよめきが聞こえて来る。けれども、それらの歌声はどれもやり
場のない気持を、酒に紛らせた様な、何か空々しい空虚な響きを持っていた。聞いている
うちに登勢は胸がおしつけられる様な気がして来た。何か居たたまれなくなって「はあー。」
と一つ大きな吐息をつくと良子の手を引いた。
「ねえしーちゃん(繁一)。良子ちゃんも一緒に少し散歩に行きましょうねえ。」
繁一は防寒服をおくと、にっこり笑ってついて来た。
型ばかりの門を出て少し西へ行くと、山一間半程の道に出る。道の両側には一ぱいに夏草が
茂って、登勢の背丈程もある。
おそろしくよく伸びた蓬が敗戦を思わす如くに道へ枝を出している。白や黄色に野草が花を
つけて芹によく似た草のキンポウゲも小さな黄色い花を咲かせていた。登勢が夏草の道を
歩んで行くと 空官舎の前に、大きな日向車が。
パッ!と強烈な色彩を投げて咲き誇っていた。登勢ははっ!として足を止める程の衝撃を
感じた。
何物にも邪魔されず、影響されぬ個性の強さを表示するかの如く、垣根から半分外へ身を
乗り出す様にして咲いているこの花は、燃える様な情熱と、強い意志と、知性に満ちた
信念を兼ねそなえている様に思はれた。
彼女は自分の空虚さに比べてこの花が羨やましく思われた。これ迄登勢は〃虞美人草〃や
〃フリージャ〃や〃月下美人〃の様な可憐なにおいの高い花が好きで、日向草の野性的な
感覚を むしろ野暮ったく思っていたが、この力一杯の明るさと、太陽に向って真直に伸びた
向日性にその 花言葉の「憧れ」を感じた。気がつくとあたりは何時しか暮色に掩われて
茜色の空から洩れる光が一種の絢欄さを見せて、天地の中に溶けこんで行くのが一層この花
に浮き模様の様な色調を与えているのだった。
登勢の郷里は兵庫県の姫路市から七、八里北へ行った処にあった。小学校を卒業して姫路の
県立高女に入学した彼女は、寄宿舎の寮の窓から、又は体育場の窓から西の夕焼空に聳え立つ
白鷺城を眺めながら、「故郷愁し!」「父母恋し!」の涙を流したものだった。夕焼空を
見る度に登勢は夕日に映えて聳えていた真白な七層の楼の優美な姿がまぶたに浮ぶのだった。
お城の周囲の姫山には鳥の古巣があるのか沢山の鳥がお城の上を舞っていたものだ…。此の
度の戦争でお城は焼けて無くなったかも知れない。いや、お城だけでなく、姫路の古い
城下町も懐しい女学校も何処もかしこも焼野が原かも知れない。
けれどもたとえ姫路全市が焼野が原になっても登勢のまぶたからは、彼女が少女時代に
望郷の念を胸に遥かに見上げた城!
茜色の夕映の中に美しく餐えたっていた白鷺城の姿は消える事はないであろう。
姫路には登勢(長女)の妹の百代(三女)が住んでいた。その頃百代は(嫁ぎ先の姫路市北東郷町)
京口台に立って、空虚な思いで西の夕焼空を眺めていた。七月三日夜の空襲による焼夷弾で
市街の高い建築物の殆んどが焼かれてしまった今は、何一つさえぎる物もなく遥か彼方!
ニキロ余り先に、西本願寺の亀山御坊さんのお寺の屋根が、ぽつんと見られるのだった。
六月二十二日朝八時頃、敵機は姫路市北東郷町の川西航空廠を目標に襲って来た。B29が
三機ずつ編隊を組んでの波状攻撃は全て昨日の事の様に思われて爆発音が耳の底に未だこびり
ついているが、あの日の五十K爆弾による爆撃はすさまじかった。
晴れ渡った大空に爆音を高く響かせてB29が近づいたと思うと、防空壕の中まで内臓が裂けて
眼の球が飛び出たかと思う程の衝撃を与えて爆弾は炸裂した。
その度に多くの人々が、一片の肉塊となって又は爆風に飛ばされて爆死した。何回も波が
寄せる様な繰返しての爆撃に、広大な川西航空廠も完全に壊滅した。何度も、「今度こそは
もう駄目だ!。」 と思ったが幸いに百代は九死に一生を得ていた。
田圃の眞中にあった百代の家は直撃と類焼をまぬがれたものの、ガラス戸は全部破壊され、
屋根瓦は総て位置を変えていた。
一時間半程して空襲は解除されたが、京口のあたり一帯は炎と煙の渦であった。
姉の登勢や紀代(次女)や百代達の懐しい母校もその時に灰燼と帰したのだった。百代の視野
に唯一つ焼けずに残った国宝姫路城が戦火の中大阪城から逃れた千姫の面影を偲ばせて、
夕映の空に聳えていた。
その天主閣の上を、沢山の鳥の群が赫々と燃える様な夕陽を受けながら乱舞しているのだった。
登勢は思い出多い、様々の夢を育くんでくれた母校が全焼した事など露知らず心に白鷺城の
夕映を思い描いていた。
その時速くから段々と近づいて来た歌声が空官舎の横手から姿を現わすとそれは陸士出身の
若い島村中尉であった。アルコールのにおいをプンプンさせながら浴びる程に酒は呑んでも
酔いしれる事の出来ぬ暗い虚無的な悲しみに満ちた顔であった。
中尉は両眼から涙をポロポロ落しながら大声で「天皇陛下にだまされて!!無条件降伏、
今日の身は、滅私奉公何たるか!。」と全身で拍子を取る様にして大声で歌っているのだった。
彼は登勢を見て足を止めると首をうなだれて、「奥さん!残念です。私は騙されていました。」
挨拶ともつかずそういうと矢張り歌いながら左手を腰の軍刀において、思ったよりもしっかり
とした足どりで去って行った。
夕焼雲の反射を浴びつ、遠のいて行く若い将校の後姿を登勢は悲痛な気持で見送っていた。
一部::第3章:秋風(桐一葉)
第3章 :秋風(桐一葉)
秋乙へは未だソ連軍は姿を見せなかったが各戸毎に赤地に星と鎌のついたソ連邦の旗をかゝげる様にとの
通報があった。
八月二十五日には日本軍に対して〃武装解除〃が命ぜられ、銃、ピストル、刀、短剣に至る迄将校の
私物の軍刀まで、総べて武器と名のつく物は一つ残らず、それに軍馬、トラック、運輸に関する物は
全部接収された。
吉田軍医も秘蔵の〃備前の長船〃を供出した。(これは日露戦争に従事した父、秀之助氏から五年以前、
南方の関東、海南島に征った時に息子の出征を祝って、貰った物で父亡き現在は、父の形見とも言える
軍刀であった。)
備前の長船は軽くて帯びて歩き易かったが細身で長く、短身の彼が長い軍刀を腰にマントを着て歩く姿は
まるで軍刀が歩いている様であった。
軍刀の供出にあたって将校連中は、ソ連の兵士に日本刀の目利が出来るとは思われず、各自の名札を
つけた
愛蔵の軍刀を前に差し出して、黙って涙をのんでいた。
柳沢主計大尉は、自分の名札をつけた。〃関の孫六〃の業物を見つめながら半生を共にした愛刀との
別れ
に拭っても拭っても、手で拭いきれぬ涙に頬を濡らしていた。
官舎の周囲を四、五人ずつ隊を組んで行く衛兵の兵隊さん達の腰からも短剣が見られなくなった。
全員武装して炎天下に行動していたこれらの人々の変った姿にも忍びよる静かな秋の足音が感じ
られる
のだった。
よく伸びた唐もろこしの葉末をさわさわと鳴らして吹く風は暑気を払って、日中の日差しは未だ未だ
強かったが、朝夕は凌ぎよいものとなって来た。
その様な或日、秋乙陸軍官舎の家族の居ない営外下士官及び将校は、すみやかに部隊に住居を移すように
との命令が出た。
そして明け渡された官舎の一部にはその日のうちに、平壌市内の軍人や軍属の家族達が引越して来た。
登勢の隣家には平壌市内の某歩兵隊の中隊長夫人が二人引越して来た。
一人はあどけない顔だちの細そりとした涼しい様な婦人で萩原中尉夫人、もう一人はどこか知的な
閃めきを思わせるノーブルな面だちの友久大尉夫人だった。
どちらにも可愛いい女の児が二人ずつあって繁一や良子ともすぐ仲よく遊ぶ様になった。すっかり打ち
とけて、表玄関前の桐の木の下で賑やかに子供達は遊んでいた。
「良子ちゃん言う児がほおしいな!」「ジャンケンポン」「勝って嬉しい花一匁!」「敗けて口惜しい
花一匁」
子供達が遊んでいる傍らで萩原夫人と友久夫人が静かに口を切った。
「ソ連軍は一週間程の戦争で勝って嬉しい花一匁と、市内へ入壌して来たのよねえ。」「朝鮮側の手の平を
返した態度も敗けた日本には、花一匁どころでは無いわねえ。」「ソ連軍が入壌して来たので官舎まで
開け渡して来られたの?。」
登勢は聞き返した。「ええ。それにポスターが電車の中にも街角にも貼っであって情ないわ!。」
萩原夫人が悲しそうに口ごもった。友久夫人は思い余った様に言った。「ねえ。奥様、戦いに敗れて
無条件降伏というからには忍ばねばならぬ事なのでしょうが---。ポスターには日本の国旗。
(〃日の丸の旗〃)を靴でふんづけて。」「そうよ。」「足げにした上で赤地に鎌の画かれたソ連の
旗を持ったロシア人と太陽を象どった朝鮮の旗を持った朝鮮人が握手をしている絵が画がかれている
のよ!!。」「まあ!!。」今更の様に敗戦の悲しみに胸を衝かれて登勢は言葉が無かった。
友久夫人が「朝鮮側の歓迎も大げさなんだものねえ。」と、歎息する様に言った。「それに〃日本帝国
主義を断固として粉砕し、その侵略と弾圧から脱脚して立派な共産政権の樹立に遭進しよう〃という
様なメッセージが出され、ソ連側からも〃友交を結んで民衆の幸福の為の共産政権の確立に協力を
惜しまない〃という意味のメッセージが取り交わされて、明日には平壌市内で大々的な歓迎旗行列が
行なわれるそうよ。」
話しながら顔を曇らせている萩原夫人の後へ「ばさり!」と音がして桐の葉が一枚散ってきた。
思わず顔を見合わせた三人は、〃桐一葉落ちて天下の秋を知る!!〃この言葉を各々の心の中で
深くかみしめるのだった。
頭上では桐の葉がざわざわとなった。愁と悲しみに満ちた三人に夫人の頬そめて秋風はひそやか
に渡って行った。
彼女等の知らぬ間にも運命の歯車は休まず回転していた。鉄道を逸早く接収したソ連軍は、終戦一週間
後の二十二日からもうソ連本国向けの物資の輸送を始めていたのだった。
様々の占領物品を一杯に積んで汽車は北へ北へと走っていた。一刻を、いや一分一秒をも惜しむかの様に。
その為に南鮮行の列車は何時頃再開されると言う望みもなく、全部止められていた。
その中に、「軍人は全部捕虜として一定の場所に収容され、秋乙は家族だけ残るようになるであろう。」
という様な噂が流れてきた。何時の間にかもう八月も終わりに近づいて夏の名残のひぐらしが、裏山
から聞こえる頃となっていた。
明後日から九月に入るという日の夜遅く、バタンと弾んだ音がして、大きなリュックを背負いその上に
毛布をうず高く積み上げて荷物の化物の様な格好の兵隊さんが、転ぶようにして入ってきた。
彼は佐々木兵長であった。
此の度特別の召集解除になり、家族護衛の意味で官舎に回された兵隊さんであった。佐々木兵長の故郷
は滋賀県大津市郊外の、紫式部が源氏物語を書いたという、石山寺の近くであった。
六月の末に腸チフスにかかり、すっかり健康は快復していたが頭髪が大分うすくなって、三十六才と
いう年令より大分老けてみえた。彼は秋乙陸軍官舎の家族達と一緒に、早晩内地へ帰国できると
聞いていた。
明けて八月三十一日。
登勢は愈々主人との別離の日が迫って来た事を感じて、その日の朝食には葡萄酒を皆に注いだ。
主人と佐々木さん登勢としーちゃん、良子ちゃんの前にも、小さな盃を置いた。 計らずも三十一日は、
登勢の二十七才の誕生日にあたっていた。
黙したまま皆顔を見合わせて、にっこりとして盃に唇をつけた。「言わで思うぞ言うに優れり。」
古歌の一節がふと登勢の脳裏を掠めた。
この場合沈黙は雄弁にまさって、互いにいたわりの気分がしみじみと感じられるのであった。
しーちゃん良子ちゃんが何も解らずに、はしゃいでいるのみだ。登勢は真っ赤な液体が熱涙の様に臓腑に
沁みこんで行くのを感じながら、今にも溢れそうになる涙を落とすまいと、眼を一杯に見開いていた。
もうこれが永の別れにつながるかもしれぬ。部隊へと出で発つ者も、その思いで一杯であった。
しかしその日も、次の日も、主人吉田軍医太尉は帰宅した。
次の日の真夜中頃だった。あわただしい物音に登勢は目を覚ました。「報告!明朝八時に部隊に集合、
三合軍廠舎へ出発します。
日用品及び衣類を持参して下さい。終わり。」取急いだ様子の福岡二等兵だった。
時計を見ると夜中の三時過ぎであった。
はっとしてすっかり眼が冴えてしまった登勢は、いくら寝つこうとしても、なかなかすぐには眠れ
なかった。
何度も寝返りを打って、うとうととしている間に、あたりが白んで明方の冷気を含んだ空気が漂ってきた。
登勢はそっと起き出て、音を立てぬ様に窓の戸をくると、外は一面に霧がおりて物の見分けもつかぬ程である。
まるでミルクを流した様な東の空に、日輪がぼんやり浮んで、開かれた窓から霧がさんさんと流れ込んで来た。
みるみるうちに、登勢の着物までじっとりと霧にぬれてきた。しめやかに降り注ぐ霧の流れを全身に受けて、
しばし佇んでいた登勢は、出来るだけ御馳走を作りたいと何時もより念入りな朝食の仕度に取りかかった。
殆んど用意がととのった頃、眼を覚ました良子ちゃんを抱いて、夫の吉田軍医が官舎のすぐ裏手の畑
からみずみずしいトマトをもいできた。良子ちゃんを抱いて、毎朝菜園や兎小屋を廻るのが、彼の楽しみ
のひとつとなっていたが、もう愈々最後であった。その朝は静かに水盃がかわされた。
「では佐々木君、後をたのみます。行って来るぞ。」言葉少なに言って出て行く父親の後を追って、
繁一がはしゃぎながら、佐々木さんが行李を持って、その後から登勢もりょうこを抱いて外に出た。
トラックが部隊長官舎前に来ていて、あちこちの官舎から将校の姿が現われた。
不安そうに顔を曇らせた婦人達の姿も見えた。
門口に立ったまま、登勢は良子と一緒に、夫の姿が見えなくなるまで手を振っていた。
「奥さん、トラックまで送って行かれないのですか?。」ふり返ると、
柳沢主計大尉であった。「ええ、もうこれでー。」登勢は会釈しながら答えて、裏の畑の方へと廻った。
同じ別れとても、晴れの出動なら見送る元気も出るものを、捕虜収容所へと行く夫を送って行く勇気が、
とてもなかった。彼女自身、虚脱した様な体を〃しっかりしろ!しっかりしろ!〃と、心に言い聞か
せつつ支えているのがやっとの思いであった。
登勢が結婚したのは日華事変のさなか、昭和十三年五月であった。
半年経つか経たぬかで、主人は姫路の部隊に入営した。
姫路へ主人の入隊を見送って帰って来てから二階の自分の部屋に座した時には、急に怒涛の様に淋しさ
が押し寄せて来た。
立って見ても、坐って見ても、部屋に穴があいた様で、六畳の部屋にガランと主の居ない机が一つ
所在なさげに置いてあるのさえ佗しく、孤独な自己を見つめる思いで、
人目のない気のゆるみから、涙がどっと溢れ出たものだ。けれどもあの当時は、未だ子供がなかった。
独り、がまんすれぱよかった。夢中で働く事で毎日が暮れて行った。爾来七年の間に、夫は再度
出征して
関東に、仏印にと、転戦し、殆んど留守であった。
しかし「お国の為に一億一心」と、全国民が困難に耐えて働いている時代であった。留守中何かと
登勢をかばってくれた 主人の父も健在であった。そして、心の優しい姑も同居していて、登勢や
繁一達は扶養され庇護されていた。
けれども、今は全ての事情が違うのだ。海を越えて遠く離れた北鮮の地!二人の子供。そして今体内
で息づいている小さな生命を思う時、不安が波紋の様に広がって来るのだった。紺碧に冷たく澄み渡った
青空の下、山々が迫力を持って接近して来る様で、露おいたトマトの下葉の蔭では、虫の音が淋しく
世をかこっているのだった。「もう秋だわ。」
登勢の心を秋風が冷たく吹き抜けて行くのだった。
そこへ佐々木さんが帰って来た。「トラックが出発しました。」「お父ちゃんを送ってきたよ。」
元気な繁一の声もした。
目の前では、唐もろこしの葉が秋風にざわざわと鳴っていた。
将校も下士官も兵隊も凡そ軍人と名のつく者は、全部秋乙から姿を消した。北鮮平壌附近一帯の軍人
の殆んどは、三合軍廠舎に収容されてしまったのだ。平素演習場としてせいぜい五百人程度の人員を
わずかに収容するに足りぬ小さな廠舎は三万人という軍人に、満員どころの騒ぎではなかったろう。
軍人の居なくなった秋乙へは、早速入れ違いの様に、「朝鮮独立委員会」とか「保安署」とかの
名称入りの腕章をつけた人々が、治安の名目で姿を現わす様になった。それでそれ等の人々は、
棒切れや拳銃や鉄砲をもっていた。
「パン。パン」「パチン」「プスン」「パン」「ズドン」「パチン」「パーン」空砲とも、実砲とも
判別のつかぬ音が昼夜をわかたず聞こえてきて、これ等の不気味な音は、十分おきに又時には五分
置きに響いて来るのだった。
なかには偽治安委員等もあって、何時強盗に変るやも判らず、あたりは急に戦線の様な不穏さが漂って
来た。
そのうち、「三合里へは皆荷物を背おって徒歩で行軍だったそうな」「途中は馬がたおれている。
荷物がほり出してある。
暑さと埃の中で大変な混雑で、そこへ荷物を拾いに朝鮮人が出て来る。ソ連兵がそれを逐い払う。
いやもう、徐州行軍よりひとかった」「三合里では将校だけ廠舎で、兵隊は全部露営で、その周囲を、
ソ連兵が警戒していて一寸でも外へ出る者があれば、すぐに発砲だ」「毎日宿舎作りの突貫工事だ
そうだー。」とか、とりどりの噂話がもたらされた。
平壌の部隊にも、いや秋乙の部隊にも、そのうちソ連軍が入って来た。そして朝鮮側のむやみな発砲
に対して警告が出された為、「パン。パン」「ポンポン」という気味の悪い音は、多少減少して来た。
騎兵部隊、戦車部隊も見られる様になった。
八月進駐当時はぼろぼろの衣服か又はシャツ一枚に、跣足の汗と脂に汚れた兵隊達であったそうだが
日本軍の衣服や靴を着用して、一応身なりはましになっていた)。
登勢達の官舎からかなり急な勾配の道を南へ五十米程下った処に平壌市内から美林へ通じる二十米
余りの巾の、大道路が、赤土をむき出して東へ向って延びていた。その道の北側(登勢の官舎から
下りて来た場所)に、細長く兵古帯を流した形にクローバが生えていた。登勢が良子と繁一を連れて
兎の餌にするクローバーを摘んでいると、西の方から土煙りを舞い上げながら、騎馬隊はみるみる
近づいて来た。登勢はその埃にうず汚れた様な兵隊を、見ただけで嘔吐をもよおしそうな嫌悪の情に
おそわれた。
彼女は本能的に二人の子供を、両脇にかかえ込んだ姿勢になって一瞬立ちすくんだ。
その目の前を騎馬隊が馬蹄のひびきを轟かせながら、疾風、いや台風の様に馳せて行った。その後から
今度は大型の戦車が、「ごうごうごう」「がらがらがら!」「ごうごうがらがら!」という、凄い豪音
と地響きを立てて、小さな彼女達を威圧するかの如くキャタピラの跡を残して走り抜けて行くのだった。
その間!良子はおびえて泣きながら、繁一は真っ青になって母親にしがみついていた。登勢は全で
風圧におし潰されそうな威嚇と恐怖を感じながら、勇気をふりおこし全身で子供の楯になったつもり
で立ちはだかっていた。
「お母ちゃん!帰る!。」「お家へ帰ろう。」良子と繁一が異口同音に言った。
秋空はどこまでも澄んでちぎれ雲がふんわりと飛んでいた。ああ!。この空の彼方!。
懐かしい故国がある。故郷がある。父はなくとも母が居る。妹弟も居る。親しい友も……。
二人の子供の手を引いて登勢は歩き始めた。繁一の持った籠からクローバーが、ほろほろとこぼれ落ちた。
「夕空晴れて秋風吹き、月影落ちて鈴虫鳴くー、思えば遠し故郷の空!」歌声がかすかに聞こえて来た。
登勢は空耳かと思ったが、空耳ではなかった。官舎に近づくにつれてはっきりと、歌は聞こえてきた。
(幸ちゃんの声だ)「夕空晴れて秋風吹き、月影落ちて鈴虫鳴く!思えば遠し故郷の空、ああ我が父母
いかに在す・……」
登勢の胸の中でも〃故郷の空〃の歌が共鳴をしてオルゴールの様に繰返し繰返し高鳴るのであった。
「夕空晴れて秋風吹きー」秋乙の野にも三合果廠舎の窓辺にもやがては木枯しに変る秋風が吹いていた。
一部::第4章:名月
第4章 :名月
次の日の朝食後だった。「奥さん。兎が一匹も居りまへんでっせ。」佐々木の声が裏口からした。
「お母ちゃん、兎ちゃん居ない!」
「小屋の兎ちゃんが皆居ないよ。」佐々木さんと良子と繁一が裏口から駈けこんで来た。登勢が驚いて
小屋へ行ってみると、小屋の扉は開け放たれて、中はも抜けの空であった。登勢は直感的に、昨日買物
に来た朝鮮人の顔が浮んだ。
「奥さん売る物無いですか?。内地へは何時発ちますか?」と言いながら家の周囲や物置小屋をしきりに
物色して油断のならぬ眼付であった。飼っている生き物は不憫がかかって殺す事は出来ないという
登勢に、佐々木は子供達の目に付かぬ処で秋乙官舎の元兵隊の友達とすき焼か兎飯を食べたいと云っていた。
佐々木は「惜しいことをしましたなー。先をこされてしもて。昨日の昼様子を調べておいて夕方に
盗ったに違いおまへんな。」とさも残念そうに確信のある口振りで言った。
登勢は引揚後の兎の事を心配していたので救われた様な気になっていた。「良子ちゃん兎は月の世界に
とんで行ったのよね」と言った。すぐ傍で繁一の目が「キラリ」と輝やいた。「兎ちゃんは何処から、
どうして跳んで行ったの?」 登勢は「しまった。」と思ったがもう後のまつりである。
「さあ- 見ていないから判らないけどお山の頂上(てっぺん)から
跳んで行ったのかも知れないわね。」「兎ちゃん今頃、お月さんでお餅を搗いているかも?」
登勢はうっかりした事も云えなくなって「そうね、『ポッタン、ポッタン、やれ搗けそれ搗け』
『黄金のーうーすに銀の杵』と歌があるでしょう。」というと傍から佐々木が「今夜は十五夜の筈だす
今年は故郷の石山寺の月が見られると思うとりましたのにあきまへんなあー。」と云った。
「ああそう今夜は十五夜なの?。おだんごでも作ってお月見をしましょうか」
「お月見しはるんだっか?どーれ、あっしはすすきを採りに行って来まっさ。」と云って佐々木は
出て行った。
そばで聞いていた繁一が「うわーい!!。良子。お月様で僕の家の兎ちゃんがお餅を搗いているのを
見ようね。」と意気込んで跳びはじめた。「ピョン、ピョン、ピョンピョン、やれ跳べ、それ跳べ。」
「うん。兎ちゃん。お月さん。
お餅ついてる。」片言を言いながら良子も一緒にはしゃいでぎこちなく跳び始めた。
繁一はは(兎ちゃんみたいに僕もお月様に行ってみたいな!!)と思っていた。「お母ちゃん。僕跳ぶ
から見てねこんなに跳べばお月様へとんで行けるかしら?」「さあね。お母ちゃんも一緒に行きたいし、
良子ちゃんも連れて行ってやらないとね。 三人で跳ぼうね。でももっともっと練習して高く跳べる
様にならないとお月様は遠いからね。」「やれとべそれとべ。」
「ピョン。ピョン。ピョン。ピョン」「やれとべ、それとべ!」
登勢は無心にはねる二人の幼児を見つめながら、(しろがねも黄金も玉も何せんに勝れる宝子に
しかめやも)山上憶良の歌を思い出して心の中で反芻していた。コルネリヤが友人に子供が私の宝石だ
と言った様に(この生き生きと輝く黒曜石の様な四つの瞳こそ私の宝石だ。いや生命だ。私には
コルネリヤの宝石が生きている。私の宝石を強く正しくそして明るく磨くのだ。
マーキスもブリリアンカットも今なら出来るのだ。宝石をきずつけてはならぬ。元気を出すのだ。)
彼女は子供と一緒に小さな声で歌い始めた。「黄金の臼やら銀の杵、月の光に浮かされて月の世界へ
跳んで行けー。月の世界に跳んで行け!」彼女は歌っている間に彼女の幼稚園の頃を思い出していた。
登勢は主役の兎に扮装してお遊戯会に「搗きますお餅は十三、七つ、お月様にもあげましょう。」
と歌に合わせて踊っていた。お遊戯会でのセリフも踊りも彼女の記憶に残っていた。そうだ。
一緒に子供達と踊ろう。彼女は心が明るく弾んで来た。そこでセリフをいう様に格好をつけて
声色を使って云った。「シーちゃん。さあ、お餅を搗いてお月様に差し上げましょう。」「うん。」
「うんなど云わずに〃さんせい。さんせい〃といって良子ちゃんも一緒に手を叩いて頂戴!」
「賛成賛成。」 「パチパチ。パチパチ。」「パチパチパチパチ。」杵をかついだ気で親子三人の踊り
が始まった。「エンエンペッタンコ。ペッタンペッタンペッタンコ。」「さあさあ。お餅が搗けました。
きれいに丸めましょう。」
繁一も良子もにこにこと、満面に笑みを湛えて親子三人がお餅を丸める仕事をしていた。
するとその時、「御免下さいませ、回覧板です。」と声がして萩原夫人が愛国婦人団の回覧板を持って
見えた。回覧板には
一. 目立たぬ服装をする事
一. 夜の七時以後は外出しない事
一. 戸締りを厳重にする事
一. 燈火を洩らさぬ様にする事
一. 家族表を記入の上差出す事
一. ソ連兵士に暴行を受けた婦人はただちに病院へ行く事(秋乙日赤病院は残っていた)
等々が書かれていた。
そしてロシア文字33字のアルファベットと一緒に簡単な日常語20語程を謄写刷りにした用紙が二枚と、
同じく謄写刷りの、ソ連軍司令長官の名前の入ったロシア語で〃強奪、強姦を禁じ罰する〃という
意味の事をかいてある4半分の粗末な用紙が配られていた。これは云わばソ連兵士の家屋浸入に対する
一種のおまじないみたいな物であった。
秋乙にソ連部隊が入って来てから、官舎地区にもソ連兵士が来る様になっていたので、登勢は早速
このソ連兵(魔)除けの護符を玄関の扉に糊で貼りつけた。
お月見をする為にその夜は早く夕食を終えて充分に戸締りをした。一ケ所だけ障子を開けて(二重点)
窓のガラス戸ごしに月の出るのを待った。繁一と良子はお団子を食べ終ると「やれとべそれとべ」
「ビヨンビヨンビヨンビヨン」と跳んでいた。
六時半頃になって月はやっと現われたが最初は雲がかかって余りはっきりしなかった。それでも繁一は
「お月様が出たよ!」 と一心に月を見つめていた。そのうち少し雲が晴れた時繁一は輝く月の中に
兎の姿を見た様に思った。円い月の面に兎が杵を持って居る影絵の様な形が浮き上って来たのだ。
それは彼の持っている絵本の兎の餅搗きの絵と非常に似かよっていた。
というよりそのままの構図とポーズであった。「お母ちゃん。兎が居るよ。良子!。兎ちゃんがお餅を
搗いているよ!。」「そう!兎ちゃんがいて良かったね。さあ。良子もお月様が見えたでしょう。」
「うん、お月様見た。」 「それではお月様にお休みなさいをして、寝ましょうね。」「お月様
お休みなさい。」「---。」
二人の子供が寝静まった後になって、月は美しく冴えて来た。窓をそっと開くと円い円い十五夜の
月の光が、部屋の中まで照らして来た。吉田絃次郎氏だったかが、〃月の光は慈愛の光である〃と云った。
その慈愛に人は甘えるのであろうか?。 じっと見ていると〃千々に物こそ悲しき〃と言った古人の
心が、その儘切々として登勢の胸にもかよって来るのだった。
太宰府の配所の月に身の不遇をかこった菅公や三笠山の月を詠んだ阿部仲磨、如何に多くの人々が
故国を思い故郷を偲んで 月光に涙を流した事であろうか!。大いなる久遠無窮の宇宙!そこには
四次元の世界も五次元の世界も存在するであろう。この自然に対した時、人間は小さな無価値な
自己を再認識して微塵の衒いもなく、強がりもなく、素直に裸の、心をさらけ出せるのだ。
神の恩寵の前に平伏する小羊として誰に遠慮もなく赤裸々な姿で涙を流す事が出来るのだ。
登勢は月を見つめていると、夫の吉田軍医がよく愛唱していた歌〃月の砂漠〃が聞こえる様な気が
して来た。「月の砂漠をはるばると旅のらくだが行きました。金と銀との鞍おいて.……。」
吉田軍医はすごい低音でかすれ声であったが音程は確かであった。声変りする以前は小学校時代
いつも学芸発表会に独唱していたという事であった。
その頃の歌の一つに〃月の砂漠〃があった。夫の軍医も眠れぬ儘に、今頃は三合里廠舎で今宵の月を
見ているであろう! 金と銀の鞍に金の壷と銀の壷を積んで月の光に濡れながら砂漠をらくだに
乗って往く旅人が見える思いで、登勢は手ばなしで声もなく泣いていた。
〃明月や捕りょの妻の泣く夜かな〃
十五夜の月は愈々冴えて天空に宝石を散りばめた如く輝く星さへ光を失った様であった。
「ガタリ」勝手口でかすかな音がして登勢は、「はっ!」と我に還った。
佐々木元兵長が勝手口から入って来た。「あんまり月が美しうおすので一寸外へ出て居りました。」
佐々木も故郷の石山寺の月を偲んでいた様子であった。「内地なら〃明月や畳の上に松の蔭〃
どすけどー。松の木もおまへんしなー」「北群では座頭の妻ならぬ捕虜の妻が泣くのですものね。
不用心ですからよく戸閉まりお願いしますよ」 〃帰国出来るのは何時なのであろうか?〃
佐々木も登勢も口には出さないが銘々その事を考えながら寝についた。
折しも中天に懸った仲秋の名月は、まるで貝が口を閉ざしたように厳重な戸閉まりをして鳴りを
ひそめて眠っている
秋乙の官舎を耿々と照らしていた。ソ連軍からの達しで「パンパン」という
ピストルの音も殆んど聞こえなくなり、秋乙中の虫がまるで名月に嘯く如くあちらこちらから虫の音
が響いていた。この虫の全生命を燃焼して奏でる秋の夜を徹しての競演に、十五夜の夜は無事に更け
ていった。けれども〃ソ連軍部の移動が一段落すれば日本人の内地送還が始まるだろう〃という
登勢達の心頼みも空しく内地へ帰還の話はすっかり沙汰止みとなって登勢達婦人達は夜道に捨てられた
子犬の様に不安と恐怖におびえながらひっそりと肩を落として暮すのだった。
北鮮秋乙の短い秋は日一日と爛けて猫の足音の様に静かな秋雨が軒端を濡す日が二日程続いた後は、
秋がもう本格的に深まって、つい先日迄の暑さがうその様に遠くへ去ってしまった様であった。
そして登勢がせっかく扉に貼りつけたソ連軍司令部が発行した「強姦、強奪、を禁ず、.これに違反
した者は厳罰に処す」という魔除けの護符など少しの御利益もなく、昼となく夜となく、ソ連兵士の
家宅侵入は日増しに激しくなっていた。
又それに附随した様に治安署の威嚇も加わっていた。引揚の日時も発表されないままに、様々の臆測が
噂に噂を生んで、色々な取沙汰が聞こえて来るのだった。よく考えれば嘘の様な話までが誠しやかに
伝わると、それはそれなりに真実性を持って、貴金属を持っている者や、写真機を持って居る者は、
残留組に入れられて使役に廻わされるそうだ。」とか「九月末には官舎の将校家族を帰して、官舎には
ソ連軍将校やその家族が入るそうだ。」とか「いや生活困窮者を先に帰してお金や物を持っている者は
後廻しだ。」という様な話がいかにも尤もらしく、聞こえて来て(火の無い所に煙は立たぬ)という諺が
皆に帰国への希望を持たせた。
登勢は兎にも角にも一日も早く内地に還りたかった。お座敷の窓際で二重戸の障子を細く開けて
(引揚げは一体何時なのであろう! 噂は本当なのだろうか?)あれこれと様々に思いをめぐらせている時、
窓辺に人影がした。
「もし。もし。」登勢は(ビクリ)として「えっ」と出そうになる声をのみこんだ。人声にまでおびえねば
ならぬ毎日であった。
「奥さん、時計に宝石売りますか?」登勢は戦争中に内地に居た頃にルビーの指環の台も、24金の蒲鉾型
の結婚指環も、又亡き父が買って呉れていた0.8カラットのダイヤの指環も、政府に献納してしまって
なかった。ヒスイとメノウの帯止めがある位の事であったが、これもとりわけ欲しくもなく、売って
も惜しいとは思はなかった。
「奥さん、日本のお金で高く買いますよ。ロスキーは居ませんか?」
登勢があわてて、二重扉の障子を大きく開けると、ガラス戸の外に柔和な朝鮮人の顔があった。
「ロスキーに見つかると、盗られてしまう。だから良かったら早く見せてよ。」登勢は急いでガラス戸を
開いて帯止めを見せた。
べっ甲色と赤い色がぼかしの様になったメノウは直径4糎位のドーナツ型の石に、紐が両側から
通してあった。 ヒスイは2糎と4纏の楕円形で、銀の打金が裏についていて、表は牡丹の花の彫刻が
してあった。透明では無いけれど緑の明るい色が右隅の方へ、白くぼやけて、登勢の大好きな帯止め
であったがこの帯止めの為に、外地に残されたのではたまらないと思った。
「一体幾らで買って下さるの?」敗戦による物価の昂騰で卵は一個が一円していた。しかし登勢には
宝石の相場は全然判らなかった。
「奥さん。貴女、小さい子供、連れた若い奥さんあるから特別奮発する。高く買います。」こちら
(メノウ)70円。こちら(ヒスイ)三百円。腕時計、無いですか?」男物の時計は主人吉田軍医の大切に
していた(ロンジン)の時計があったが、植木鉢の下に隠していたので錆ついたか動かなくなっていた。
登勢のセイコー社の時計も、天然真珠の銀台の指環も、全部売る事になった。総べて一括して五枚の
百円札に変ってしまった。
「私ら朝鮮の者、ロスキーが「ダワイ」「ダワイ」と何でもかでも盗る、全く困る。見つからぬ間に
帰ります。奥さん、元気で内地へ帰りなさい。さよなら。」朝鮮人特有のアクセントで親切な挨拶を
残して逃げる様に足早にその朝鮮の人は去って行った。登勢は思った。どの民族にも善人と悪人がある。
人本来の性は人種にも民族にも関係なく善なのであろうが環境や生活の状況によって良くも悪くも
なるのだろう。人間同志が人種的又民族的なこだわりから脱却して無意味な相剋を止め、
手をつないで平和に暮らせるのは何時の日なのであろうか?。だがともかく今は何よりも内地へ還り
たい。登勢の思いは唯早く還りたいの一語につきるのだった。
一部::第5章:秋雨
第5章:秋雨
その日は朝からしとしとと秋雨が降っていた。雨の日は一人心が重く沈んで「巷に雨の降る如く
我が心にぞ雨の降る。」 ヴェルレーヌの詩の一節が登勢の心を悲しく震わせるのだった。
けれども彼女は子供達の為に強いて明るく振舞っていた。「罐詰の牛肉を利用して、皆でお昼は餃子を
作ろうね。」
登勢がメリケン粉で皮を練っていると「バタンバタンバタン」と大きな音がして玄関の扉が押し開かれ
モートル銃をかまえた 二、三人のソ連兵が靴ばきのまま上って来るのがガラス戸に写った。「はっ」
として側にいた繁一の手を取ると勝手口から逃れ出た。
登勢はお座敷で佐々木と遊んでいる良子の事を気にかけながらはだしで防空壕の待避口から道路に出て
上敷領夫人の所へ駈け込んだ。
上敷領夫人はドーナツを作っている最中であった.「まあ!!びしょぬれで!」「そんなにビクビク
しなくても。ドーナツでも召し上れ。」「え、ありがとう。」
繁一がドーナツを御馳走になっている間に上敷領夫人の家の小吉(元上等兵)が状勢を見に行って、
「もう大丈夫です。」 というので、登勢は自分の官舎へ帰った。帰ると佐々木が良子を抱いて玄関に
立っていた。「治安隊員がねソ連兵をつれて来ましてな。
『時計を出しなさい。お金を出しなさい』とか云って自分たちがほしいもんだっさかいなあ。無いと
いいましたら、 ぶつぶついうものをソ連兵がなだめてうながして出て行きよりました。」
登勢と繁一は佐々木の話を聞きながら安堵して家へ入った。
久し振りに落ちついた昼食を終えて食器を片づけていると「小母さん開けて頂戴!」山中副官の
お嬢ちゃんだった。 全身ずぶぬれで彼女はかけこんで来た。
「今ねえ、来たの、来たのよ。大きなソ連兵が二人でーお母さん逃られたかしら?谷口さんが何だかだ
云っている間に私逃げて来たのよ。 あ、恐ろしかった。」そういうと後を振りかえって恐ろしそうに
肩をすぼめた。間もなく山中夫人がとびこんで来た。
その後から暫くして谷口(元上等兵で召集解除になって山中家に同居)が駈け込んで来た。
「うちのお嬢さんや奥さんはおられるかね?ああ来て居られて好かったです。今二人のソ連兵が靴履き
のまま入って来てね。 時計を出せ出せ云ってあたりをかき廻して壁の水筒をはずして奪ってしまい、
俺に銃を突きつけてからにあれ出せ(ダワイ) かに出せ(ダワイ)と云って机の引出しを掻き探している
隙にわっしも逃げて来ましただ。服装と云えば日本軍の軍服を身にまとい
日本軍の外被を上から着て居るのですよ。古いモートル銃なんだけど銃をもっているもんだから
処置無いですわ。」 谷口は反歯の口を尖らせて怒っていた。
登勢は雨樋の無い軒端からぼたぼたと流れ落ちる雨をまるで涙の雫を見る思いで眺めながら谷口の
話を聞いていた。
その横で佐々木が「もう物質の事は仕方がおまへんさかい奥さん達に逃げられるだけ逃げて貰うより
方法がおまへんなー」 とあきらめた様に云って思案げな様子できせるの煙草に火をつけた。
(佐々木兵長は隊に居た頃から親爺さんに貰ったという古いきせるで煙草を吸っていた)
次の日はからりと晴れた秋日和であった。登勢と柳沢夫人はオンドルの部屋の南側の窓下に立って
ソ連兵の来ない暫時の安逸 を貪っていた。 オンドル(註=土の床の下を燃やして暖房する)
昨日一日中降り続いた雨に空気中の埃をすっかり洗い流して空はあくまで澄み渡り爽やかな日差しは
夫人達にさんさんと降り注いでいた。
「今日の様なお天気はお布団が干したいけど、うっかり干せないし」「何でもすぐ盗られちゃうから
嫌になっちゃうね」「本当にね、 それにロスキーに捕まらぬ様にせんとねー」「でも本当に良い天気ね」
柳沢夫人が大きく呼吸して云った。そこへ「佐々木君居ますか?」 谷口が尋ねて来た。「ここじゃ!
ええ天気どすな!」背のびをする様にして佐々木は云った。けれども晴れ渡った空とは反対に
夫人達の心は晴れなかった。 〃どんな事があってもソ連兵士から逃げなければ!〃
二人共黙ってその様な思いに支配されていた。その時「ありゃ?」谷口が大きな声を出した。そして
佐々木が云った。「今日はえらい来まへんと思うとりましたらあんな処へ行っとりまっさ!。」
登勢達の官舎からかなり急な勾配の道を南に下りた庭を東西に通っている二拾米巾の道路があった。
その道路を距ててて、小高い丘があった。丘は美しく切り石で造成されて住宅地となっていた。
その辺りには保給廠の軍人軍属の家族官舎が建ち並んでいて 登勢の官舎の向う側に高く聳えた
位置にあった。
佐々木の言葉にふと頭を上げて遥か保給廠の官舎を見上げた登勢等は「あっ!」と声を出した。
ソ連兵士が七・八人いやもっと多く 十人位だったろうか。若い二十二、三才と見える女性一人を
取りかこんで話をしている様子である。
そのうち多くの兵士達は見えなくなって一人の兵士と女性が官舎へ入って行った。どうもうな野犬の群
にかこまれた幼児を見る思いであった。
「あ、駄目ね!逃げられないかしら?」「何とか出来ぬかしら」思いは空しく助ける術とでは無かった。
登勢と柳沢夫人がいる所へ谷口と佐々木も近寄って来た。「あんな姿(女らしい服装)をしていると
よけい危いものだ」「あれは逃げられまへんなー。」 等々云いながら官舎を見上げている。
三十分程もすると先程のソ連兵士だけが出て来た。すると他の兵士が何処からか一人現われたと思うと
官舎の内へ入って行った。どうやら輪姦が始まったらしい。
柳沢夫人と登勢は心が暗く閉ざされる思いで銘々の家の中へと入った。召集以前は但馬の山奥で百姓
をしていたという谷口上等兵は 農閑期には売薬の行商をしていたとかで田舎者らしい好奇心で
「一人」二人」と数をよみながら保給廠の官舎をにらんで立っていた。
登勢は思った。〃「何時誰が先程の保給廠の女性と同じ運命に陥らないと保証出来るであろうか?。
それ程事態は緊迫している。 その行動や行為は精神や意志や感情に何の関連もなくむしろ災害的に
引起される事柄なのだ。と云って野良犬に咬まれたと超然と 割り切る事が出来るであろうか?」〃
以前から思案していた事であるが、この際登勢は頭髪を切って男装をしようと思った。彼女にはあの
薄汚ないボロボロの様なソ連兵士達から女性としてあつかわれることは耐えられない死に値する事
なのだ。 男装する事によって幾らかでも災難を脱する事が出来れぱいいではないか!。
彼女は鋏を裁縫箔から持ち出して云った。
「佐々木さんすみませんが髪を切って下さいな。」「へえ!?」「散髪して頂戴!」「奥さん!本当に
切るのですか? 昔から日本女性の命と云われた黒髪を!」「ええ。切って下さい。」
断髪に最初は半信半疑であった佐々木も先刻の出来事が一人でも多く日本女性をソ連兵士の毒牙
から守る為には、 最善の方法の様に思われて鋏を取り上げた。
「奥さん切りますよ。よろしうおますな。この辺からでっか?。」「いいえ、もっと短く刈込んで坊主
にして下さい。」「よろしゅうおます。」思い切った様に佐々木は鋏を入れ始めた。ザクザク。
ザクザクと冷たい鋏の感触が彼女に女性との訣別をうながしていた。
登勢達はそれからも毎日毎日逃げるばかりに明け暮れた。頭髪を切り、その上に戦闘帽をかぶり、
軍のカーキ色の作業衣を着て ズボンも作業用の裾が脚絆型になった短股をはいてすっかり男装した
とは云え、見さかいのなくなっている女に飢えたソ連兵から 難を逃れる為には、若し見破られた場合
を思うと、姿を隠すのが最善と思われた。今日一日が無事に暮れたと云うだけがやっとの思いであった。
何時も逃げ廻って家の主人達が居ないのを幸に、チヨコマン(子供)やオモニー(婦人)のこそ泥が窓や
勝手口からこそこそと 忍び込んで目ぼしい物を持って行く、ソ連兵は靴ばきのままで家中を掻き
まわして行くのだった。
その間を縫って地元の治安隊員だとか保安隊員だと云う人が厳めしく腕章をして、四,五人で来ては
おどかして食物や衣料品や家財道具を持って行ってしまうのだった。
夜はソ連兵が何時踏込んで来るかも知れぬと云う不安に夫人達は何時でも起きて逃げられる様に、
毎晩着のみ着のまま、ズボンばきでおまけに靴履きのまま寝床に入るのが普通になっていた。
或る日の午後。突然何処からともなく噂が流れて来た様な感じで将校官舎(4DK)を全部ソ連軍の将校
及び下士官に明け渡して、日本人は全員下士官舎(3DK)の荒れ放題の空官舎に移る様にという伝達が来た。
そして二、三時間後には柳沢夫人の官舎にも岩田夫人の官舎にも立退きを迫ってソ連兵がどかどかと
入り込んで来たのであった。
幸いにも登勢の官舎とその西隣には、ソ連兵は来なかったが、登勢は噂の様な伝達が気になったので
トランクを出して来て、ともかく現在直接必要でない衣類を超特大型の薄茶色のなめし皮のトランク
に詰める事にした。
主人の大島の袷の羽織と着物、それに登勢が心をこめて縫ったお召の綿入れの丹前、軍服の古い物、
登勢の絹綿入りの部屋着等をいれた。
大型と中型の淡い青磁色の皮のトランクには何も詰めなかった。この二つのトランクは、結婚する時、
嫁入り仕度の道具と共に、母が揃えて買って呉れたもので、戦時中なかなか手に入りにくい高級品で
あったし、その静かな色合いがとても好きで、登勢は大切にして使っていた品物であった。
その落ち着いた淡い青磁色を見ていると、昨年十一月渡鮮する際の事が思い浮かんだ。
大型と中型のトランクを登勢は両手にさげて背には良子をおんぶしていた。軍刀長船を腰に、軍服姿
で繁一の手をひいて、さっさと体一杯の大股に歩く主人。その後姿を見失うまいと息を切らせながら
寒空に汗をかきかき渡った下関乗船場の長い長い桟橋だった。
「今度帰国の時には同じ下関だろうか?」等と思いながら二つのトランクを古い汚い布で包んで外から
優雅な色が見えない様にと工夫した。
一見して外形からトランクと推測出来る以上ボロ布で隠しても何時か盗られる運命にあるとも知らずに。
大陸続きの北鮮の秋はあわただしく裏のナツメの木の葉は黄ばんで、玄関前の桐の木は〃ばさり〃
〃ばさり〃と葉を落としていた。
何となくせき立てられる様な思いで登勢は三ケのトランクや布団そして身の回りの物を一応南側の
空官舎(3DK)へ運んだ。しかしそこはもう一杯であった。旧二百五拾部隊の軍人の家族達と同居して
いる召集解除になった元兵隊さん達者が住むには無理であった。
荷物という程の物は無くとも皆の持物でその置場もなく、うず高く積み上げられた荷物の上に、
トランクの包や不急の荷物を置いて、同部隊の方達と一緒であるという安心感でその一夜はそこに
泊る事にした。
登勢の住んでいた官舎は、これ迄不思議に一度もソ連兵に深夜踏み込まれた事がなかったので、
実に運の良い官舎という事になっていた。
そんな運の良い官舎を空虚にする事は無いと云って、柳沢夫人と岩田夫人が一緒にそれぞれの子供を
連れて登勢の居た官舎に、その夜から泊る事にした。実際登勢の官舎を除いた殆んどの官舎にはこれ迄
度々ソ連兵が「ダワイ」「ダワイ」と侵入していた。
道を隔てた東側の二列に並んだ官舎には全部通達後二三時間置いて、ソ連兵が引越して来た様子で
あったし、北向いの官舎も、南向いも、西側のもその例には洩れていなかった。
登勢は登勢の官舎がソ連兵の魔手から難を逃れられるのは、亡くなった舅のお蔭だと思っていた。
若くして他界した実父と肝胆相照す仲であったと云う主人の父も登勢が渡鮮するニケ月前に亡く
なっていたが、この舅が生前実父の如くに彼女を可愛がって呉れたのだった。又繁一や良子も非常に
慈しんで夫が出征中の彼女を蔭に日向にかぱって呉れたのだった。この事は彼女をどんなに力づけ
慰め勇気づけとなったか判らない。彼女は恒に心中で舅を拝んでいた。
繁一も良子もお腹をこわしたり、肺炎をおこしたりしたが、その度に生命の危機を医師の祖父によって
脱したのであった。
舅は登勢にとって生前から神佛の様な存在であったのだった。今又舅が死んでも霊となって彼女や孫達
を守ってくれていると思えて仕方がなかった。それに加えて姑は熱心なクリスチャンで彼女や繁一や
良子はその祈りに支えられている事も疑う余地はなかった。
その夜、登勢の運の良いという官舎には柳沢家の深田元上等兵と岩田家の南川元上等兵も柳沢夫人達
と一緒に引き越して来て泊った。
その夜に深田も南川も二人の運命を支配する大きな災難が待ち受けている事は思いも及ばなかった。
深夜、深田と南川はただならぬ気配に目睡めた。と思うまもなく数人のソ連兵の相鍵?らしいもの
での浸入で飛び起きた。
柳沢夫人と岩田夫人は眠がる三人の少女を叩き起して窓から逃がれた。坊や(柳沢)と静江(岩田)を連れ
て出る程の時間的な余裕はなかった。
深田と南川が居て呉れる事が僅かに慰めではあったが、もやの様に広がる不安の中を三人の少女を
連れた両夫人は近くの空官舎にともかく逃げ込んだ。坊やと四つの静江を残して来たので遠くへも
行かれないし、不安な半ときであった。その頃深田と南川は周囲を剣銃を持ったソ連兵に取り囲まれ
ていた。何の事か判らぬま、、キョトンとしている二人にソ連兵の主だったのが云った。
「ダヴァイ。イッチー(行け。)」そしてそのま、二人は連行されて行った。もうソ連兵が引きあげた
頃と見計らって重苦しく重なって来る様な不安を胸に両夫人は官舎へと帰って来た。ところが帰って
みると深田も南川も姿が見えない。
幼児二人の泣き声がおんおんと官舎一杯に響いているのみであった。「深田さんー。」「南川さんー。」
深夜に呼び声がこだまして不安と心細さが、ひしひしと両夫人に襲いかかって来るのだった。
この夜を最後にして深田、南川の両氏の姿を見る事は出来ず、ソ連軍に拉致されたのだった。
翌朝、静江をお便所に連れて行った岩田夫人は赤い血が。パンツを汚し「痛い!!。」と泣く静江に
驚いて秋乙日赤病院に連れて行った。〃会陰破裂〃病院での診察結果を聞いて夫人は唖然として
しまった。〃幼児を犯すなんて鬼畜だ〃 岩田夫人の胸の中を悲しみと憤りと恨みが渦巻き逆流した。
静江は治療に当分病院へ通う事になった。
引越し先の空官舎も一杯で、一晩だけの泊りで荷物をおいて元の官舎へ帰って来た登勢は病院の近く
へと静江の治療の為移って行く 岩田夫人を慰めの言葉もなく暗い気分で見送るしか仕方なかった。
登勢は柳沢夫人と元の官舎に住む事にして荷物を取りに行ったがトランクは窓際の荷物の上に乗せた
様に置いて居たので布が包んであるにも関わらず「昨日買ったのです」と云って地元民に
三ケ共ごっそり持って行かれてしまった後であった。
噂は「お金を全部盗られた」とか「○○○○が殺されたそうだ」とか「○○夫人が強姦された」とか
血生臭い風聞ばかりで無秩序と殺伐の気が流れ混乱の中を百鬼が横行していた。
一部::第6章:闇夜
第6章:闇夜
ザクザクと兵隊靴が砂利を踏む足音と共に重苦しい気配が官舎を包むのを感じて登勢は「ばつ!!」
と目を醒ました。
すぐ隣に眠っている柳沢夫人(四、五日前から官舎をソ連兵の為に追い出されて泊りに来て居る)も
目を覚まして「変だわね、来たらしいわよ」と私語やくのだった。
そのうち玄関の扉がガタガタと荒々しく引張られて今にもこわれそうな音がした。扉を開けないと
破壊される」と思った時 佐々木の声がした。「逃げて下さいよ!奥さん戸を開けますから。佐々木が
玄関へ行くと同時に錠前は外からはずされたらしかった。
そしてドカドカと靴ばきのまま五、六人のソ連兵が侵入して来た。
「ガラリ。」窓を開いて登勢は飛びおりたが「ハッ」と息をのんだ。すぐ目前に銃をかまえた兵士が
「チオッ」と叫びながらつっ立っていたのだ。夢中で再び屋内へ飛び込んだ登勢の周囲をソ連兵が
五、六人で銃をかまえて包囲してしまった。
繁一と良子を抱きかかえたま、静かに座して俎上の鯉の様な落着きを取り戻した登勢は兵隊は全部で
六人中の頭立った一人が憲兵曹長である事、柳沢夫人は首尾よく御不浄へかくれたらしい事を見き
わめた。「兵隊は居ないか?」「男は居ない、か?」 曹長は佐々木兵長にも銃を向けたまま登勢に
尋問を繰り返した。
登勢はソ連語を全然解せぬ佐々木に変って片言にゼスチャーを混えて答弁を始めた。「兵隊は居ません
この人は私の兄です。」 (ソルタートニェト、エタモーイブラート)「連れて行かないで下さい。」
「この家には誰も男は他に居ません。この人は百姓です。
兵隊ではありません。(ニソルダート)百姓です。(家には兵隊は)居ません。
(ヤードーマ、ソルダートニエト)憲兵曹長は「ふん!」と云って兵隊に佐々木を引立てる様合図した。
「待って!」登勢は思わず憲兵曹長の腕をつかまえて歎願した。
「お願いです。連れて行かないで下さい。」「取調べる事があるからどうでも連れて行く」
「怪しいものではありません百姓なのです。」
「駄目だ連れて行く」「では身仕度をしますから」「早くしろ」登勢は大急ぎで上衣と煙草を佐々木に渡した。
兵隊五人が佐々木を取り囲んだ。兵隊達が口々に云った。「ダヴァイチェ」「ダヴァィ」(行けー)
「お願いです。連れて行かないで-。この人は百姓なんです。」登勢は尚も叫び続けた。その時憲兵曹長が
つと登勢の手を取った。 握りしめながら早口に小声で優しくささやいた。「ザフトラヴェーチョロム」
「…………」「ヤポイジョームー:-…」 しかし登勢の未熟なロシア語の知識では少し複雑なこみ
入ったロシア語は解せず、「安心しろ。すぐ帰してやる。」と云った様に思えたが言葉が通じない事
が一層不安を増して来た。登勢は拉致されて行く佐々木の後姿を眼で追いながら心細くなって
来るのだった。憲兵曹長が再び何か言った。「ザフトラベーチコラム……。」夢中で拉致されるなって
佐々木を弁護していた登勢はその時始めて憲兵曹長を意識した。油ぎった大きな手で握られた手を
発作的に引こうとしたが固く握られた手はビクともしない。急に新しい恐怖が襲って来た。
「ウハヂウハヂ。アト、・・ニヤー」(あちらへ行って下さい)
「ダヴァイダヴァイウハジーウハジー。(帰って下さい)ダスビダニヤ(さようなら)。」登勢が
おののきながら片言をしゃべっている時、「曹長。曹長」と運よく玄関先からソ連兵士達が呼んだ
ので曹長は「チェッー。ダスビダニヤ(さよなら)」といまいましげに舌打ちをして、
登勢の手を握り返してからやっと手を離した。そして後を振り返りながら佐々木を取りまいた兵隊達
を促して暗闇の中へと消えて行った。
玄関の扉がガタンとしまると登勢は今までの緊張がほぐれて不安と心細さが寂として吸取紙にインクが
にじむ様に全身に染透るのを感じた。 ヘタヘタと座りこんだ時「奥さん!」と云いながら柳沢夫人
が栄子ちゃんを連れて御不浄から現われた。幸子ちゃんも浴場から現われた。
皆顔を見合わせたま、黙然としているばかりであった。『これから先はどうなる事だろうか???」
登勢も柳沢夫人も言葉にならぬ不安が 頭の中をどうどう廻りしていた。小さい良子や坊や(柳沢夫人
の長男で良子と同年の一年九ケ月)を寝かしつけながら悲しいまでに目が冴えてくるのだった。
約一時間ばかりだった時窓辺で「奥さん奥さん開けて下さい。」佐々木のあたりをしのぶ様な密やか
声がした。「あっ、佐々木さんだ!」登勢と柳沢夫人は同時におどり上って窓を開けた。
佐々木はやっと生気を取り戻した面持で窓から入って来た。
そして「もう駄目かと思うとりました。」と大きく息をついて、拉致されて取り調べられた模様を
話すのだった。
「通訳が居るのに余り通じまへんので畑を耕す真似を一生懸命しましてん。何が何でも男は使役に使う
つもりらしゅうおす。 もうこれからは男もソ連へ抑留されん為に逃げんなりまへんなー。」
と恐ろしそうに考え込むのだった。空箱にかくしている時計を見るともう二時半、窓外は混沌として
黒々とした暗闇が広がっているばかりであった。
翌、十月一日は夕方から降り始めた秋雨がしめやかに徹かに震えながら宵闇を漂よわせて、しのびよる
獣の足音の様に音もなく降っていた。登勢の故郷は山国であった。秋雨の晴れた後、山へ茸取りに
よく行ったものだった。赤松の根元の枯葉を持ち上げて首を出した松茸特有の芳香に毎年秋が愈々
深まった事を知るのだった。栗に柿に山の味覚は秋そのものだった。田舎では木犀の花が咲くと松茸
が出始めると云われていた。登勢は木犀の花の香も大好きだった。深く澄んだ青空一杯に拡がって行く
清純な芳香はある意味での秋の象徴だった。夫の吉田軍医も木犀の花の香が好きで彼の生家の岩庭に
珍らしく大きな木犀の木があった。登勢は「わあっー」と泣き出したい様なやる瀬ない望郷の念を
柳沢夫人との御国自慢で僅かに慰めながら床についた。
うとうとと暫くまどろんだ頃、足音がして勝手口のあたりに止まったと思うと扉が「ガタガタ」と
鳴り出した。「ドンドン」と叩く音も激しくなって来た。「佐々木さん起きて!ロシア兵が来た!。」
登勢は手早く眠っている良子を背におんぶして紐でくくると寒くない様に亀の甲ねんねこを羽織った。
飛び起きた佐々木が「奥さん逃げないで居て下さいね!。昨夜の様にソ連兵に連行されるのが怖いんだす。」
と恐る恐る勝手口へ出て行った。
扉が開いた気配がして同時に酔払ったソ連兵が独りよろめく様に入り込んで来た。登勢は茶の間の
入口で襖に体をくっつけて警鐘を乱打する様に鳴る胸の鼓動を抑えながら息をひそめていた。
ソ連兵は「マダーム、マダム」と云いながら登勢の前をすれすれに過ぎて登勢に背を向けたまま茶の
間に電燈を点じた。〃さっ〃と光が流れた。「あっ!!昨晩の憲兵曹長!!」登勢はもう少しで声が
出るところであった。その時。ハッと柳沢夫人が窓から飛び出した。「おお!マダム。」と云ったと
思うと、電燈に照らされて不気味に黒光るピストルを右手にして憲兵曹長は後に続いた。「今だ!」
登勢は勝手口から駈け出した。戸外の闇の暗さに一瞬とまどったが裏手の防空壕の辺りでガサガサと
草葉の鳴る音を聞いたので反対側の大道へと反射的にとび出した。道路上でまごまごする事は危険で
ある。
道を距てたすぐ向う側には、あかあかと灯のついているソ連憲兵隊長の家の玄関があった。(ソ連
憲兵隊は規律に反した時は射殺も辞さないが現行犯のみ罰せられる)と聞いていた」ので登勢は却って
敵の中へ飛び込む事が安全と思い、とっさに憲兵隊長の家の玄関に駈け込んだ。
「ダヴロヤヴェーチョラム(今晩は)。」ソ連の当番兵が顔を出して、「チオ?(何だ)。」「マイヨール
(隊長は)、ドオマイエステー?(家に居ますか)」「ア、ハンダーダー(はいそうですか)。」
と当番兵が引き込むと入れ違いにマイヨール(隊長)が現われた。登勢は「シシャース(今)
ロースキーソルダートヤドームイジヨーム(ソ連兵が家へ侵入して来ています)」と片言に身振りを
混えてピストルを持っておっかけられている事を通じた。「アバン、ダ(はいよろしい)
イシスダーパイジョン(此方へ来なさい)。」丁度出て来た当番兵に何か云いつけてマイヨールは
引き込んだ。
登勢は玄関の脇の小部屋に招じ入れられて、まだドックドックと波打っている心臓を静めようと
「ハアッ」「ハアッ」と肩で呼吸を二三度して差し出された椅子に腰をかけた。 間もなくマイヨール
は革のレインコートを着て何か云いながら玄関から出て行った。
良子ちゃんに当番兵のロスキーが「バァー、ルッル。」と相手になってりんごと砂糖水を持って来た。
「スパシーバ(有難う)。」と登勢は良子にリンゴを渡しながら、口笛を楽しそうに吹いている十七、
八才と思える当番兵の少年じみた挙動をじっと見ていた。
三十分ぱかりしてもう一人の小柄な細っそりしたマイヨール(中佐)を連れ立って帰って来た。
マイヨールは登勢に向かって、少し小首をかたむけてゆっくり「ロスキーソルダート、トイドーム、
ニェトシシャース。ハイジヨン、スピーチ(もうロスキー兵は貴女の家に居ませんから帰っておやすみ
なさい)。」と云ってもう一人のマイヨールの顔を見て微笑した。登勢は〃なあんだー。
マイヨールの部下の曹長なんだな〃と思った。登勢は内心苦笑しながらお辞儀をして室を出た。
「ダスビダニヤー(さようなら)。」 当番兵が人なつっこい微笑を見せて玄関迄送って出て来た。
「スパシーバー(有難う)ダスビダニヤ(さようなら)。」無邪気に微笑している少年ソ連兵に登勢は軽く
頭を下げ隊長官舎を出た。
マイヨール二人が家まで送って呉れるというので多少の不安もあったが登勢は平静を装って素直に
好意を受ける事にした。
二人のマイヨールは此の場合猟師であった。けれど良子を背におんぶして、前を歩いて行く懐に飛び
込んで来た小柄な窮鳥を撃つ事は出来なかった。
これ迄部下の若い下士官や兵士達の行動は戦勝に強姦、略奪は附物とばかり大目に見ていた。又大抵
これ迄は現行犯でない限りは黙認されていた。
そして知らぬ聞かぬで万事すまされて来たのだ。被害者の日本人側も撃たれようが、殺されようが
如何されようと泣き寝入りの形で諦めていた。
無媒にも隊長の家に直接に助けを求めて飛び込んで来たのは登勢が始めてであった。
街路には外燈が一ケ秋雨に濡れてボーと霞んで立っていた。細い朽ちかけた電柱は陰湿な影を
作っていた。微細な秋雨に「キラリキラリ。」
と光が揺れてすっかり闇に沈んでしまった沼の様な世界にぬめぬめと光る小砂利が靴の下で
ザックザックと鳴るのみであった。 登勢には短い道のりが長く思われた。やっと家に帰りついた。
マイヨール(憲兵隊長)が云った。「エタティドーマ、スパコィノーチ。」(貴女の家はこれでしょう?
おやすみなさい)マイヨールに片言でお礼を云って居ると佐々木と繁一が一緒に出て来た。
「お母ちゃん!。」繁一が飛びついて来た。片言しか話せぬので登勢は「スパシーバー」(有難う)
ダスビダニヤを繰返しておいて二人のマイヨールが 闇の中へ去って行くのを待たずに家の中へと
入った。やがて柳沢夫人が帰って来た。柳沢夫人は隣家の物置にかくれていたのだった。
後を追ったロスキー憲兵曹長は大分酔っていたので暗闇に方向を間違って反対側へと走り去った
らしかった。 ひたすらに帰国を望みながら一切が暗黒に閉ざされた不安の中で眠れぬままに
声を忍んで静かに登勢は泣いていた。
冷たい涙が一すじ二すじと頬を伝わって枕を濡らして行くのだった。