十一、夢幻(新雪)
空っ風が吹いて雪の少ない秋乙にも年が変ってからは度々雪が降った。内地の雪は
花弁の散る様に、冷たくてもアイスクリームに似て初恋の甘さを含んで舞いながら
落ちるのに、秋乙の雪は悲哀が苦汁となって凝固した様だった。雪は積もったり、
消えたりしながらも凍った。積もった雪も雪だるまを作ろうと丸めて転がしてみても
くっつかないので、手で圧しかためるしか無いのだった。内地の雪にはふうわりと
した柔らかい真綿の様な優しさがあるのに、北鮮秋乙の雪は冷たく酷しく、夢幻を
擁する情緒にも欠けていた。内地の白梅紅梅の古木に亦土塀や門かつぎの松に綿を
のせた感じに積もる雪では無かった。氷を削った様な雪は赤土を剥出した禿山に
ふさわしい雪であった。降り積もった雪を見ても、何を一つ見ても無闇に日本が
懐かしかった。登勢は大声をあげて「お母さん!!」と泣きたい衝動に一生懸命
耐えていた。
登勢等親子三人には凍った雪を踏みつけながら、二百二号官舎へと通うのがいつとなく
日課の様になっていた。そこでは登勢は先住者の「ドクトルマダム吉田奥さん!」
であったし、繁一は愛称(シシャン)良子は愛称(リョウシャン)であった。快い音楽の
流れる暖房のよく利いた官舎で登勢は働くのが楽しかった。
クチャカーマダムは外人特有の舌足らずの呼び方で「リョウシャン」「リヨウシャン」
と良子を可愛がって呉れた。
マルキンやバーシヤ曹長は繁一をとても可愛がってくれた。
そこには人種の差別も戦勝国、敗戦国の区別も無かった。あるのはほのぼのとした
暖かい人間同士の友情であった。
進駐当時の汗くさい飢えた狼はもうそこには居なかった。そこに居るのは唯人情厚い
素朴な人達であった。
良子と繁一が可愛がられる事が登勢にとっては何より嬉しい事であった。繁一は僅か
七冊の、自分の持っている全部の絵本(童話も)を何時も袋に入れて提げ歩いていた。
そして殆ど空んじてしまっている絵本や童話を何度も繰り返しては読んでいた。
良子はおとなしい児で静かに繁一の読む本を聞いていた。
五才と二才の三つ違いの兄と妹は、或時には、近しい骨肉として、又或時は幼い親友
同士として信頼と愛を寄せあっていた。何時も小犬がじゃれる様に一緒にころころと
遊んでいるのだった。その傍で掃除や洗濯をする事は登勢を非常に元気づけてくれた。
働くことがともすれは沈み勝ちな気持を明るくひき立てるのに効力があった。
登勢は報酬はどうでも良かった。寒々として生活苦の匂いのするぼろ官舎の一室で、
じっと虚しさに耐えて居るよりも、子供がのびのびとして親子三人が明るい気分で
時間を過ごせる事が得がたい仕事の代償であった。
楽しそうに仕事をする登勢に向って、マダムクチヤカア准尉は何度も云うのだった。
「奥さん!!妊娠中の大切な体だから仕事をして呉れるのは良いが、重い物を持ったり、
無理をせぬ様にね。」
登勢は「ス。ハシーバー(有難う)」との一言しか言葉を知らなかった。
登勢がペチカの掃除をすると燃えがらや、マセツク(絶無煙の大き目の豆炭で暑い夏の日、
汗水をたらして小屋へ運んだ物)等、重い物は全部マルキンが運んで呉れた。洗濯をする
時はお湯を沸かすのに、マルキンが燃料をどしどしほりこんでお風呂の湯をどんどん
沸かして呉れた。洗い終った洗濯物は四斗樽に入れて置くと戸外ヘマルキンが運ぶのだった。
綱を雪の積もった戸外に引き渡すのもマルキンの仕事で、洗濯物を干すのは登勢の仕事
だった。登勢はまるで当番兵の付添がついた掃除兼洗濯婦であった。
その日、登勢が仕事を終えて帰ろうとしていると「ドラースチ、クチヤカー。」
よく透る声がしてマダムターニャが活溌な足どりで入って来た。軍医準医マダムター
ニャは、クチャカマダムの同輩であった。ターニャは登勢を見ると、「日本が戦争に
負けて奥さん苦労をしますね。ロシヤがゲルマン(ドイツ)に攻められた時は、ロシヤ
でも食べ物がなく、パパが木を削ってそれを食べて私達も露命をつなぎました。
戦争があれば女は苦労します。
日本奥さんもロシヤマダムも戦争は大嫌いです。戦争で困らないのはアメリカマダム
だけです。『日本奥さん。ロシヤマダム。戦争反対です』熱心な口調で身振り手振りを
混えて一息に云った。そこまでは良かったが後が悪かった。クチヤカアの横に居た良子を
抱き上げると云った。「吉田奥さんはもうすぐ赤ちゃんが生れるから、このドーチカ
(女の子)一人売って貰えないかしら?。お金が要るでしょうから沢山お金を払うから。」
言葉は判らなくても気配で察したのか、「駄目、あかん!。」絵本を入れた袋を放して
とんできた繁一は、顔色を変え、ターニャを睨んで不安そうにつっ立った。
繁一のけんまくに良子を下ろしてターニャは、一心に云った。
「クチヤカーは五月にエレビョーニカ(赤ちゃん)が生まれるし、吉田奥さんはもうすぐ生ま
れるし、私も子供が欲しいわ。女の子がほしい!。」
登勢は驚きで言葉が出て来なかったが、急いで良子を抱いて、「ニエト、ニエト(駄目駄目)」
と頭を横に振った。クチヤカー准尉もあわてて、「そんな無茶を云うものではないターニャ。
パジヤルスター(済みません)奥さん!。」 と間を取りもってくれた。ターニャが少し
しよんぼりして照れ笑いをしたので、登勢も繁一の頭を撫でながらほっとした。
帰りの道で広場の雪をふみながら、繁一は念をおすように、「お母ちゃん。良子はロスキー
にあげないね。」と云った
。
登勢は「ああ。誰にもあげないよ。皆で一緒に内地へ帰ろうね。」
と返事をしたもの、ソ連側からは何の通達もなく依然として何時頃に帰れるか全然当は
ないのだった。 引越にしてもすべて突然に発令され、まるで突風に吹き荒らされる様に
官舎を出るのであってみれば、今更その遣口に変りがある筈もなく、ソ連側の考えなど、
名探偵シャーロックホームズにも解けない謎であった。??。「吉田さん!。お元気?」
美しい声が聞え、我に返った登勢が顔を上げると、栗原小巻に似た容姿の天野砲隊軍医
原大尉の夫人が五米程前方に立っていた。
「ええ、お蔭で-。」原夫人の官舎は二〇二号官舎と道を挟んで東側であった。
すぐ北上がソ連の憲兵隊長の官舎のせいか、憲兵隊長を敬遠して引越もなく四世帯同居で
静かに暮しているのだった。
地元民もおそれて余り物売りに来ないので、原夫人はその日卵を買いに少し先の道路まで
出向いた帰りであった。
彼女は育ちの良さから来たこだわりの無さと、登勢とは同県人と云う親しさもあって、
登勢がぼろ官舎へ移る以前は良く行ったり来たりしていたのだった。地元民にふとん袋
を持ち逃げされた登勢は、原夫人に掛ふとんを一枚借りていた。酷寒の北鮮の冬には一枚
の掛ふとんでも登勢親子がどんなに暖かく包まれている事か!。
登勢はふとんの暖かさ以上に原夫人の友情の暖かさに感謝していた。
原夫人は兵庫県の神戸女学院出身の才媛であった。彼女にも繁一位の坊や(公一)と
一才を過ぎた女児(明子)があった。
「何か良いお話有ります?。」という原夫人の問いに登勢は黙って静かに首を横に振った。
原夫人は登勢のお腹に目をおとして、「奥さん、無理をしては駄目よ。」
「え、有難う。」大寒に入って内地でも寒い季節なのだ。割合に暖かい日だったが、
晴れやらぬ曇り空から思い出した様に強い風が吹きまくった。
〃お互いに体に気をつけて元気で子供を連れて帰りましょうね〃
そんな思いが云わず語らずに合言葉の様に、原夫人と登勢の胸の中を往復した。
「じや!」 「子供二人に留守させてますので……。」 「さようなら。」
「さようなら。」 折からの風が積雪を吹き上げて雪を散らした。雪は散りながら、
別れて帰って行く原夫人と登勢親子を包んだ。
その夜原夫人は女学生の頃の夢を見ていた。それは長閑な春であった。
彼女の母校神戸女学院は西宮市岡田山にあった。自然を活かして美しく整備された小さな
岡の様な山は、松の木や山椿やつつじ、すみれ草迄が優雅な調和をみせていた。
山上の校舎と校舎をつなぐ道の両側の桜並木には、折しも満開の染井吉野が欄漫と
咲いていた。テニスコートでラケットを持った友人と話していた原夫人が、
ふと見るとコートの横の広々と広がった芝生の向う側に、子供を連れた登勢が大きな
お腹を抱えて細っそりとした撫肩を落し、悲しそうに立っているのが眼にうつった。
原夫人が駈けて行こうとすると登勢は、芝生から桜並木へ子供の手を引いてさっさと
歩いて行くのだった。
登勢達親子の上に桜花が散りかかって、花弁が落花の吹雪と舞った。
見る見るうちにそれが本物の冷たい真白な雪となって登勢達にふりかかって行った。
「吉田さん!」 原夫人は呼ぼうとして目が覚めた。すると女学院の桜花も、広々と
した芝生も一瞬に消えて、身を横たえているのは殺風景な北鮮の官舎の一室であった。
二人の子供の母を信じ切った安らかな寝息が原夫人の胸に迫って来た。
ぽろりぽろりと大粒の涙が静かに夜着を濡らして行くなかで、夫人は出産をひかえた
登勢の事を考えた。
〃吉田さんとこは今からもう一人歩ちゃんを生まねばならぬのだ。三人を連れて…。
内地は遠い〃 登勢の事を思えば原夫人は涙の中から勇気が湧いて来るのだった。
登勢もその夜夢を見ていた。〃どうかして早く内地へ帰りたい。お産迄に帰りたい。〃
という思いの為か、それとも佐々木の逃亡の事が頭にある為か、山道を繁一の手を
引いて良子を背に、黙々と歩いていた。突然!何処からか「ソ連側との引揚交渉が
挫折した。駄目だ。引返せ!。引揚は未だ早いと言うモロトフ外相の命令だ!。
ここから引返すのだ!。」と言う声が聞こえて来て、元の食堂舎(燃料にする為に取り
壊した。)前の広場から山の暗い洞窟(戦時中の防空壕)へと引返して歩き続けていた。
〃如何しても内地へ還らねば。〃と夢の中で登勢は思っていた。そして「良子は
ロスキーにあげないよ。皆で一緒に内地へ帰ろうね。」と言いながら只管薄暗い道
を歩いていた。そのうち何時の間にか夢は消え深い眠りにおちていったらしく、
翌朝登勢が眼を覚ました時には、もう朝日が射していた。
夜中からしんしんと降り続いていた雪は二十センチ程積んでもう降り止んでいた。
積った雪が朝日を反射して眩しく輝いているのを見ると、登勢は昨年の樹氷を思い
出した。昨年(昭和二十年)の大寒は異常な寒波が秋乙を襲って登勢の居た二〇二号
官舎の樹木も度々美しい樹氷をつけたものだった。
小梅の裸木が震える様な寒さの中で、枝一杯に樹氷をつけて、射し昇る朝日にダイヤ
モンドの様に輝くのを、夫と一緒に眺めた日の感激が新しく登勢に甦えって来た。
樹氷は丸でこの世のものとも思われぬ程美しく、キラキラと輝いていて、それは束の
間の夢幻の世界であった。
それにつけても夫の吉田元軍医大尉は、末だ三合里の廠舎に居るのだろうか??。
〃内地帰還〃という日本人の誰もが飛びつく名目で、健康な将兵達から順番に
三合里を出発したと云う事だから、三合軍廠舎の医務診療所で、残留兵士や病兵の
治療に当って居るのだろうか?。ボロ官舎の夫人達には夫達の居所も消息も、何も
かも一切が判らず、全然雲をつかむ様で知る方法とてないのだった。
「今頃は半七さん。何処に如何してござろうに?。」そんな浄瑠璃の言葉の一節が、
登勢の胸の中で鳴門の渦潮の様に渦巻いていた。
その頃、登勢の夫吉田軍医大尉は、同僚の土井軍医大尉と厳しい寒さの三合里廠舎
で診療の責任者として多忙を極めていた。一人でも多くの同胞の命を助けんものと
一心に働いていた。衛生設備の行き渡らぬ廠舎。ソ連側の行き届かぬ衛生管理。
不足と言うにも余りにも少な過ぎる食糧。容易に手に入らない医薬品。何一つと満足
にゆかぬ悪条件の中で、彼の人間愛が、医者としての魂が、彼を仕事に治療に看護
にと駈りたてていた。食塩注射に使う食塩水も水を蒸溜して作らねばならない現状
であった。
昨年の秋(昭和二十年十月頃)毎日のように、千人二千人と隊を組んで、〃お先に内地
へ還ります〃と出発して往った将校、下士官、兵士達を内地へ還すと言うのは、
口実で、遠くはハバロフスク、ナホトカ、近くは鎮南浦と各地の収容所に送られて
行ったのだが…。懐かしい父母の居る内地、愛しい妻子の待つ内地、故国の灯が暖か
く彼等の胸に点っていて、内地帰還を信じ、喜び勇んで出発した彼等であったが……。
『内地帰還』が夢幻と消えさり、異国の土と化した将兵の数は余りにも多い。
(注)これは後程聞いた話であるが。 (各収容所で使役に従事している間に、コレラ、
チフスに罹り八ケ月後に再び三合里へと送還された者も沢山あった。昭和二十一年
六月頃には、コレラ、チフスに加えて極度の栄養失調で、身動き一つ出来ぬ患者が増え、
手のほどこし様もなく、三合里でも次々と死者が出て、日に百二十名を越える将兵が
冥途へ旅立つと言う悲惨な事実もあった。)
登勢達のぼろ官舎では、玄関の扉が壊われているので、板を打ちつけて開かぬように
してあった。玄関の土間は食物の倉庫の代わりに使用して、西側の勝手口が出入口と
して使われていた。勝手口を出た右手に小さなテントを張って、かまどを築き、共同
炊飯をする様に作ってあった。
登勢達が夕方勝手口を出て、遥か西の方を見ると、何処から現われるのか判らないが、
百を越えると思われる程のおびただしい数の烏が毎日現われて、空に群れ飛ぶのが
見えた。登勢にはそれが、異国の地で倒れた人々の魂が烏に姿をかりて空を舞って
いる様な不吉な錯覚を起こさせた。夢幻と消え去った帰国を、実現する為に烏になって
大空を飛んでいるのではなかろうか?。同じ様に空を見上げていた柳沢夫人が、
「ねえ、あの黒い鳥は烏でしょう。何かと思う程随分沢山ねえ。百羽は居るでしょう。
何だか気味が悪いわ。内地へ帰ると言って出て行った兵隊さん達、本当に帰っちゃった
かな。まさか途中で倒れちゃったんでは無かろうね。」
「あら!。私も同じ事を思ったわ。」上敷領夫人が横から言った。
宵闇の迫ってくる薄墨色の空の彼方へ全部の鳥が姿を消すのを眺めながら夫人達の
思いは同じく、何を見ても唯遣瀬無かった。
共同炊飯の遅い朝食が済んで、登勢が朝の片付けを終えると、良子がもう自分の
オーバと手袋、おんぶ紐を持って、「母ちゃん、キー(ロスキー)とこへ行こうねえ。」
と言う。けれど朝は道が滑るので、登勢達が出かけるのは大抵十時頃になった。
登勢はその日、いつもより遅く、お昼過ぎに良子と繁一を連れて、二百二号官舎
へ行った。途中の広場も久し振りに雪が消えて、残雪が日陰の処々に冷たく溜った
様に見えた。一月も後残り少なく、引揚の期日も判らぬままに出産の日を迎えねば
ならぬ不安を目前にひかえて、何か苛立たしい悲しみが彼女を包んでいた。
二百二号官舎の門を入ると、ねんねこの上から吹きつける冷たい風に、肩をすぼめ
ながら裏手のお庭へ廻った。
登勢は一年前の今頃!。朝の厳しい冷え込みに、氷細工の様な樹氷を度々つけて、
宝石の様に輝いていた小梅の樹を見たいと思った。小梅の樹が懐かしかった。
樹氷は瞬時にして消えるが故に、夢幻の果敢なさを持っていた。樹氷を装った
美しい小梅の樹を、最初に教えてくれた夫の消息が全然判らない今、小梅の樹を
眺める事はせめてもの登勢の慰めであった。しかし裏庭にある筈の小梅の裸木も、
そこにはもう見当らなかった。樹木らしい物は何一つなく、畑すら荒れ果てて、
枯草を吹く北風の去来だけがあった。〃一体如何した事だろうか?〃夢幻の様に樹木
の消え去った佗しい庭の風景が、刻々として彼女の胸に迫って来た。吹き抜けて行く
風と共に、思い出の一こまが散って行った。
物置のマセツク炭を、取りに出て来たマルキンが、寒空に佇んでいる登勢を見つけた。
「シトオ、スインドーチ、ホロドノー、イッチドーマ・・・。」(如何したの?子供達
が寒いから家へ入っておいで…)と丸い青い瞳をくるくるさせながら、キューピー
の様な顔をして言った。 登勢はそれには答えずに、「マーリンキイスリーバ、
ニエト。」(小梅の樹が無くなっているわ。)と首を横に振った。マルキンは、
いたずらっぽく首をすくめ、おんどるの煙突を指差して、「スリーバニエト、
イッチダウァイ。(梅の木はあそこから消えて無くなった)!。」
と涼しい顔をして笑った。その無邪気さにおされて、登勢は返す言葉もなく、
もくもくと白い煙を吐いている煙突を見上げた。梅の樹は「炎きつけ」として煙に
化けて消えてしまったのだ。とんだ「鉢の木」である。佐野源左工門常世の心の痛み
など、マルキンには程遠い事である。
登勢は国民性の違いを感じた。人間程その環境に支配され易いものは無い。広大な
森林と領土を持つロシヤ人には、樹木は育てるものではなく、伐採して使う物なのだ。
資源の少ない小さな島国に生れて育った日本人が、生きて生活して行くのには、工夫
と勤勉は欠く事の出来ぬ必須条件で、山には植林、畑には耕作がつきもので、
植木を愛する事も生活の一部分なのだが、ロシヤ人にはその必要はない事なのだ。
-------と官舎の向うに見える禿山を眺めながら登勢は思うのだった。
空襲と度重なる爆撃で、瓦礫の荒地と化しているかも知れぬ日本!。十年間は生物は
おろか草木さえも生えぬ不毛の地になったと言う広島や長崎!。けれども彼女の瞼に
浮ぶのは、鮎の泳ぐ清流揖保川!。紅葉美しい最上公園、千年藤で賑う藤祭り、四季
の移り変りに伴って、綿々として情緒のある故郷の風物であった。登勢は秋乙とは
月とすっぼんだ-と思い、「ホロドナ、オオチンホロドノー。(寒い大寒い)。」
と言うマルキンの後から苦笑しながら官舎へ入って行った。
掃除をすませて登勢が後片付けをしていると、クチャカアマダムが勝手口から帰って
来た。暫くすると、ジープの音が門前で止った。パーシャの賑かな声がして、
マルキンが呼ばれて玄関から飛出して行った。まもなくジンジャーとパーシャと
マルキンが、一箱ずつ乾パンの箱を担いで玄関から入って来た。
パーシャは肩にのせたまま、乾パンの箱をおんどるの部屋へ運んで、早速木箱を
開いた中味は戦時中一戸に一袋-二箱の配給で、二回程貰った事のある乾パンである。
これは元日本軍の食糧廠から接収したソ連軍の戦利品と言う訳の物だ。と登勢が思い
ながら眺めていると、マダムが乾パンの袋を取り出して、「シトーエタ?パヤポン
スキー。(これは何と言うのです?)。」と尋ねた。登勢が「乾パン」と答えると
パーシャが後を引きとって、「乾パン」「乾パン」と繰り返した。
乾パンの布袋をクチャカアマダムが開けた。中から乾パンと一緒に、ころころと五色
の金平糖が転がり出て来た。
「金平糖?」と登勢が思わず声を出した。美しい緑や赤の可愛いい色彩や形に、
良子と繁一が眼をかがやかせて喜んだ。マダムは金平糖をつまみあげて、「シトーエタ?
(これは何と言うの?)。」とまた登勢に尋ねた。登勢がにこにこしながら、「金平糖」
と答えると繁一が横から一緒に、「金平糖」と言った。マダムは乾パンの袋から金平糖
を選り出して、「トシシャン。ルリシャン。コンペイト。」と手渡して、金平糖を良子
の掌と繁一の掌に乗せた。クチャカーは金平糖が珍らしかった。口に入れると甘いサハロ
(砂糖)の味が広がって、目前に居る小柄な吉田奥さんの国!日本のお菓子が、未だ
見たことのない日本を思わせていた。笑顔で「コンペイト」「コンペイト」と
楽しそうに繰返すクチャカアの言葉を聞きながら、登勢は娘の頃、故郷の最上山の楓山
で茶箱の振出しから、金平糖をころばせた野点ての茶席を思い出していた。楽しかった
娘時代!。あの友。この友。誰の消息も今は知る由もない。
登勢が廊下で帰り支度をしていると、シンシヤーが部屋から出て来た。彼はパーシャ
とクチヤカアに何か言った。登勢の方を見ながら、クチヤカアが笑顔で返事をした。
良子をおんぶしてねんねこを羽織り、すつかり帰り支度をした登勢に近づいて、
シンシヤーは未だ封を切らない乾パンの箱を指差し、持って帰る様にと言った。
登勢は思いがけぬ言葉に驚いて、シンシヤーを見た。バーシヤと違って平素余り打ち
とけて話をした事も無い、むっつりと部屋にこもっているシンシヤ--が、彼女に一箱
全部乾パン(六十袋入)を呉れると言う。シンシヤーの真意を計りかねて、お礼の言葉
も出て来ないまま、登勢はこのトルコ系と思われる色の浅黒い小柄なロシヤ人の黒髪に
黒い瞳をしたカピタンを当惑げに見つめた。シンシヤーは登勢の当惑は重くて大きな
木箱を持ち運べない為の心配だろうと思った。マルキンに向って乾パンの木箱を持って
登勢達を送って行く様にと言いつけて繁一を見ながら再び登勢に言った。
「エタバームマーリンキー。ナイドーマイジョー……。(これを君の子供にあげる
家へ持って帰ってやりなさい)」子供にと言う言葉に救われた登勢は急に嬉しくなった。
シンシヤーの繁一を見る眸は優しさに溢れ潤いさえ、帯び、亡き息子を繁一の中に
見ている様であった。登勢が慌てて、「スパシーバ(有難う)」と言うと繁一も横から
「スパシーバー」と言った。始終にこにこしながら見ているパーシャの方をちらっと
見て、シンシヤーは照れた様にそそくさと自分の部屋にしている座敷へと入って行った。
登勢がクチャカやパーシャにも「スパシーバ」と礼を言うと、背中の良子が「シーバ」
と言った。「ダスビタニヤ(さよなら)」と言うと良子が「ダスビダー」と又まねをした。
四時間程前に悲しみに圧しつぶされそうな心で通った道を、帰りは意気揚々と、
大きな乾パンの木箱を荷担ったマルキンに送られてぼろ官舎へ帰り着いた。
金平糖は入っていなかったが、官舎の夫人達にも配り乾パンは当分の間夕食の代用
として空腹を満たして呉れた。 登勢がカピタン、シンシヤーから貰った乾パンは、
胃袋だけでなく、心まで満たして呉れた。木箱ごと貰った六〇袋の乾パンは、
神の御恵と彼女には思われた。急に長者になった様な豊かな心で床についた。
その夜の夢は楽しかった。神の恩寵に守られ、登勢は内地へ還った夢を見ていた。
彼女が渡鮮前に住んでいた家に皆集っていた。家は舅名義の家で、表は南北の通りに
面しているのだが、家の前で東側と西側に道が別れていた。道は別れたまま矢張り
南北に走っているので、分岐点に道分稲荷の鳥居と小さな社が建っていた。
家は通りの西側に位置して、東向に板垣と門があった。稲荷の鳥居を狭んだ同側の
通りに、造り酒屋の大きな倉があった。玄関を入って東向の縁側に続く三部屋の、
南も北も隣家と接している為に、少し光線が不充分であった。その為か皆の顔が
ぼやけて見えるのだが、夫の吉田軍医の亡父(生前何事につけても彼女を庇ってくれて
いた死んだ舅)も元気で温く登勢を迎えてくれた。東京に住んでいる筈の妹の紀代も
空襲を逃がれて、その場に居た。 姑は可愛いい孫の繁一の頭を撫でながら、
「シーちゃん。よく還った!。よく還った!。」と言って、金平糖を手渡している。
登勢は「六〇袋も乾パンを貰ったのよ。」と皆に乾パンの袋を配りながら、里の母の
顔が見えないのが物足りなかった。玄関に里の母らしい人影がした。けれど人影は
なかなか入って来ないので、「早く、お母さん此方へ入って来て頂戴。」と言おう
として目が覚めた。 〃ああ、此処はまだ日本内地では無い!。内地帰還は矢張り
夢なのだ。お母さんに今少しで会えたのに、夢は破れた。〃と思った途端、
急に激しい悲しみが登勢を襲って来た。夢の中でも良いから母に会いたかった。
夢が楽しかっただけに、悲しみは二乗されていた。内地へ還りたい。出産迄に帰り
たいと言う願いも夢幻と消え去った事を、登勢はひしひしと感じた。声をしのんで
泣く登勢の頬を、滂沱と涙が流れ、枕を冷たく濡らすのだった。ぼろ官舎の窓辺
にむせび音を立てながら、木枯しは吹き過ぎて行った。
二部::第12章:新月
十二、新月
暖かい日が続いた後、寒さが又戻って、旧正月の新月の日が近づいていた。寒さの
為か下腹部が硬く固まって、出産の日が予定日(二月中旬)より早く近づいている事を、
登勢は母性本能で感じた。彼女は思った。〃優しい母や姑に見守られながら産んだ
繁一や良子の時とは違って、独りでお産を済まさねばならないのだ。胎盤癒着などに
よる多量出血を起こした場合死に直行する事も考えられるが、どんな事があっても、
無事にお産を済まさねばならない。私が死ねば誰が子供達を内地へ連れて帰って
呉れるだろう?。いや生命の保証すら出来ないのだ。
私は死んでも死ねない立場なのだ。
彼女は上田秋成の雨月物語の説話や、子供の頃に幼な友達の辰ちゃんや房ちゃんと
一緒に、怖ごわ聞いた子育て幽霊の伝説を思い出していた。
昔、それは寒い或晩の事であった。少し早仕舞に飴屋が表戸を下して、戸閉りをして
いると、ごとごとと飴屋の表戸が鳴った。耳をすますと、「今晩は!、水飴を一文で
売って下さい。」地の底から出て来た様な、絶え入る様な声がした。飴屋の主人が
出てみると、青白い顔の痩せ細った若い女が、白い着物を着て表に立っていた。
女はまるで体中から冷気を出している様で、あたりに冷たい風が漂っていた。
飴屋は薄気味悪く、背筋がゾーとする様な思いで、多い目の水飴を大急ぎで渡した。
女は嬉しそうに「有難う御座居ます。」と丁寧に頭を下げて帰って行った。翌晩も
翌々晩もその若い女は飴を買いに来た。しかし、若い女は一日一日と弱々しく、衰え
て行く様に見えた。六晩目の夜、女は悲しそうに、「有難う御座いました。もうお金が
ありません。」と冷たい一文銭を置いて飴屋を出た。その様子が哀れで、以前より
不審に思っていた飴屋が後をつけて行くと、女の姿は墓地に消えた。消えたあたりで、
元気な赤ん坊の泣き声がしていた。登勢の郷里播州では、冥途の路銀(三途の川の渡し
賃等)として、一文銭六個を紐に通して棺桶に入れる仕来りがあった。死後に出産した
若い女は、冥途の路銀で水飴を買って赤ん坊を育てていたのである。〃私は絶対に
死ねない!。いや、死なない!。内地へ子供達を連れ還る迄は死んでも死ねない。〃
と登勢は、心の中で絶叫していた。そして出産までに炊事当番の責任も産後の分迄
果しておきたいと思った。 その頃、共同炊事当番は二人ずつ組んで、翌朝一日分の
御飯を炊く準備をする事になっていた。朝火を燃して炊けた御飯のお釜を下すのは
男の人の役だった。官舎全員の一日分(三升の米)は多くはないがお米と水を入れた
大きな釜の上げ下しは、相当力が要る仕事であった。けれど登勢は独りで二日続けて
当番をしようと思った。
幼い頃はひ弱い泣虫の子供であった登勢であるが、結婚後大家族の中で、大瓶に水を
運ぶ仕事や、四斗樽の漬物石の上げ下し、大家族の三度の食事のお釜の上げ下し、
戦時中の空地利用にした事もない畑仕事や、かます縫いの勤労奉仕等、様々の労役や
困難が種々の意味で、彼女を逞しく鍛えていた。腕も太くなり、小柄な体に似合わず
力も強くなっていた。幼稚園ばかりでなく、小学校へ入学しても、附添なしでは通学
出来ない弱虫の甘えたの幼女の頃の面影はもう微塵も無くなっていた。
上敷領夫人や河島夫人の「奥さん、無理をしないで、重い物は男の人に持って貰う
のよ。」と言う言葉や、「代りに重い物は持ってあげるから遠慮しなくていいですよ。」
と言う小吉元上等兵の親切な言葉を、無理に退けて、独りで炊事当番に取り組んだ。
初めにお釜を洗ってかまどに乗せ、洗いあげたお米を入れ、最後に分量の水を入れる
様にして重量を手加減しながら仕事は順調に進み、第一日目の当番は無事に終った。
登勢が仕事を終ったかすかな安らぎと共に、ふと見上げた西空には、三日月よりも細い
糸の様な新月があった。昏れなずむ空に懸った赤味を帯びた黄金色の新月は、神秘的
に輝いて登勢の胸に促々として敬虔の念をもたらした。不運の武将、山中鹿之助が
「憂き事のなおこの上につもれかし、限りある身の力試さん」と三日月に祈った話は、
余りにも有名であるが、登勢は静かにお産の無事を新月に祈らずには居られなかった。
その翌日の第二日目の夕方、お腹が何となく重く調子が少しおかしいと思いながら、
明朝炊くお米を洗って、明朝の薪を運んだ。冷たい水に引きつってくる指を引っぱり
ながら準備は殆んど完了した。〃もうこれで終った〃と思った途端!。
心にゆるみが起きた。 赤土をこねて、即席に作ったいびっなかまどと、かまどの上に
乗せたお釜の間の隙が目にとまった。
気になった登勢は思わず力一杯にお釜を引っぱったが思ったより重かった。両足に力を
入れて釜を動かした拍子にお腹に力が入った。お釜のずれは正しくなって、隙間は無く
なったが登勢は下腹部に痛みを感じた。〃ハッ〃と気づいたがもう遅かった。
痛みは大分きつく感じられた。そっと掌をあてて、痛みの鎮まるのを待った登勢は、
大急ぎで後片づけをして部屋に入ると静かに横になった。この儘痛みがもうなけれぱ
大丈夫腹痛はおさまると思ったのだが:.……。最初程ではないが、又痛みがきた。
子供に夕食を食べさせて、床に寝つかせた頃には紛れもなく陣痛となった。登勢は
排便をすませ、出産の準備をして、本格的に床に着いた。 登勢が「お腹が痛く
なった。」と言うと、橋口夫人はてきぱきと皆に命令をした。
「柳沢さんお湯を沸して:::。舟元さんは産婆さんを呼んで来てね。私はペチカを
たくから…:….。」橋口夫人の言葉に柳沢夫人がお湯を沸かしはじめた。舟元、
小吉の二人の元上等兵は保給厰官舎の日本人会登録の産婆を呼びに駈け出して行った。
登勢の腹痛は十分程の休みをおいて激しくなり、登勢は〃早く産婆さんに来て頂かぬ
と間に合わない〃と思い始めた。 全身の力を抜いて痛みに耐えながら、
〃産婆さんは未だ時間がかかるのかしら?”と登勢は不安になっていた。激しい痛み
に水が下り、陣痛の間隔が短くなって、その度に下へ胎児の頭が下るのがどうにも
止まらなくなって来たのだ。「産婆さんは末だ?。産婆さん早く来て頂戴!。」
を繰返していると、柳沢夫人が飛んで来て、「今、小吉さんが帰って来られたから。
もうすぐに舟元さんが案内して産婆さんが来られるわ。」
と、言って登勢を勇気づけた。けれども未だ産婆は現われなかった。登勢に言った
ものの柳沢夫人も産婆の現われるのが間にあうかどうかと心配になって来た。
「産婆さんが来られる迄に生まれたら、橋口さんどうしましょう。」
「一握りで結んで、指二本置いて、糸をくくり間を切るとか言うけれど……。
私もしたことがないから、産婆さんを待つしか仕方がないでしょうね。」
登勢は橋口夫人と柳沢夫人の遣り取りを聞きながら、〃もう生まれるわ〃と思った。
「ああ!お母さん!生まれる!。」登勢の叫びと同時に泣き声もあげずに、赤ん坊は
この世に飛び出して来た。それは将に満潮の勢であった。
その時、お勝手の出入口に、騒がしく声がした。
「今晩は!。」「あ!もう生まれたらしいですね。」
「そこの廊下の突当りです。」「お湯が沸いていますから。」登勢は軽くなった
お腹と共に、心も軽くその声を聞いた。「今晩は、産婆の黒岩です。」
「お世話になります。吉田です。」予約はしていたが、初診であった。
黒岩は新生児をその儘にして、登勢の容態をしらべてから新生児をとり上げた。
赤ん坊が始めて、「おぎゃあ、おぎゃあ、おぎゃあ。」と三声、呱々の声をあげた。
窒息の心配をしていた登勢は、安堵の喜びの中でその産声を聞いた。
産婆はその儘赤ん坊を登勢の足元において、登勢の処置にとりかかった。ぼろ官舎内
の同居の人の親切で、産湯の準備がすすめられ、産婆は軽く登勢のお腹をおさえて、
登勢の処置を手際よくほどこした。その間登勢は足元で、こちょこちょと動く、
暖かい、そして柔らかい、すべすべとした自分の分身を、愛おしく肌で感じていた。
胎盤が軽い痛みと共に出てしまうと黒岩は「こんなに出血のないお産は珍らしい
ですね」と言って、新生児の産湯に取りかかった。
「お日出度御座います。可愛いい坊ちゃんですよ。」
赤ん坊は可愛いいと言うよりも、小さいと言う言葉が適していた。登勢は同室の柳沢
夫人や普段煙たい存在の橋口夫人までに、親切な援けを受け無事にお産が済んだ事が、
有難く感謝で一杯であった。
長い間のお産に対する危倶が、すっかり解消して、胸中に拡がる安堵の思いは、
彼女を睡りへと誘って行くのだった。ネルの産着を着せて貰った赤ん坊を、登勢は
眺めながら、〃一体目方はどれ位あるかしら?、六百匁(二粁二百五拾瓦)?かしら、
それとも六百五十匁(二粁四百瓦)位かしら?と考えている間に、瞼が重なりそうに
なって来た。黒岩は新生児が水を吐くかも知れないので、少し横向きに寝かせて言った。
「明日の朝まで赤ちゃんもお母さんも良くお休み下さい。」
「どうも有難う御座居ました。」一週間お湯を使わせに来ますから、その間にお隣り
の奥さんも一度診て置きましょうね。」と黒岩は柳沢夫人のお腹に目を落しながら言った。
「明日はお昼頃に来ます。」「有難うございます。よろしくお願いいたします。」
登勢と柳沢夫人が一緒に言った。登勢は、「御苦労様でした。」
と睡い声で挨拶すると、もう黒岩の姿が廊下に消えて襖が閉まる音を半分夢の中で
聞いていた。
黒岩は日本軍の配給の外套に薄茶色のショールを巻いて、舟元と小吉に送られて
ぼろ官舎を出た。外には肌を刺す冷たい風が吹いて、満天の空に星が降りそうな
星月夜であった。深く藍色が沈んで冴えた空に、オリオン座の三つ並んだ星がチカ
チカと、震えている様であった。
翌朝、一晩ぐっすり眠った登勢は、すがすがしい気分で眠りからさめた。
すっかり元気を取り戻した若い体には、お産の疲れは少しも残っていないかに
思われた。
ぼろ官舎の人々の親切で、赤児の行水のお湯も沸かされ、黒岩が赤児の行水を済ませ
た後のお湯で、登勢が洗濯をすませると、上敷領夫人や河島夫人が、自分の家族の分
と一緒に、戸外に干して呉れるのだった。登勢には二才ニケ月の良子を抱いて用便に
つれて行くのが、一番難儀な仕事であった。廊下がお勝手からの粉炭と水で汚れた
土足でべとべとであった為、お便所も土足になっていたので、いくら腕が疲れても、
途中で子供を立たす事は出来なかった。産後に、中腰で幼児を抱いているのはお腹に
こたえたが、親切に甘えて子供の世話を他人にまかせる気にはなれなかった。
それにお産を三月上旬にひかえて柳沢夫人のお腹も、大分嵩を増して、柳沢の坊や
(二年一カ月)の世話のなかばを樗木と幸子が手伝っていた。
登勢が繁一や良子の食事の世話を済ませて、再び横になっていると、横の外の廊下で、
繁一が大きな声で上敷領夫人に言っているのが聞こえて来た。
「僕んちに赤ちゃんが生れたんだよ。おとうとなんだよ!。おととはね。良子には未だ
おちんちんが生えて来ないのにね。赤ちゃんだのにもうおちんちんが生えているのだよ。」
上敷領夫人が笑いを噛みころした様な声で、
「あら!そう。シゲ坊。良かったね。赤ちゃん可愛いでしょう。」
「うん、おととはね。お魚でなくて、小さい可愛いい赤ちゃんなんだよ。」
聞いていても自然に頬の筋肉がゆるんで来る様な、それは繁一の変てこな幼児の
論理であった。
そんな対話を聞きながら登勢は以前、里の家の床に掛けられていた掛軸の事を思い出
していた。その掛軸には約八百年程前(一一五九年)平治の乱に敗れた源氏の源義朝の
側室常磐御前が、三人の遺児と市女笠に雪を避けながら、平家追手を逃れて行く姿が
画かれていた。今若をつれ、乙若の手を引き、年若を懐に抱いて、落ちのびて行く
先は鞍馬の山か 梁川星巌の〃母の懐から雪の山にひびく呱々の声は後に千軍を
叱咤号令する〃という意味の漢詩が斜上部に書かれていた。三人の児を連れた常磐
御前が源氏の再興を、三児に賭けていたかどうかは別として、三人の幼児の生命力
を信じ、子供の養育に自分の生命をかけて、心血を注いだのは、今も昔も変らぬ
母性本能だと思った。繁一と良子そしてこの嬰児の三児をつれて鞍馬ならぬ内地へ還る。
それは登勢のつきつめた願いであった。
産後三日目の午後たつ.た。ぼろ官舎の勝手口(玄関代用)で騒がしく声がした。
「吉田さん!。」柳沢夫人の驚いた様な声がして柳沢夫人や小吉や樗木と一緒に思い
がけない出産見舞の客が、靴ばきでどかどかと現れた。
「靴!。」「靴!。」と樗木が大きな声を出して靴を指差したので、パーシャ曹長も
クチャカアマダムもマルキンも、廊下に靴をぬいで、部屋に入って来た。
「吉田オクサン。パズドラブリャーユ(お日出度う)エレビヨニカシーン、ドーチ?
(赤ちゃんは男?それとも女?)。」「スパシーバー。シーン(有難う 男の子なのよ」
「ラシュヂェー二。。ハズドラブリャーユ(お誕生お日出とう)。」
「ハラショー(好かった)。」「エタナーシュ、パダルクイチビヤ(これは貴女へ
私達の贈物です)。」
と言って銘々に登勢の前に、牛肉の缶詰。パン。洗濯石けん(十センチ位の固型)を
置いた。それからどろりとしたものの入った瓶を大切そうに取り出した。
(どろり)とした號珀色の液は水飴らしく、「エタ、エレピヨーニク(これは、
赤ちゃんに)。」と差し出した。「ス。ハシーボー(有難う)。」と礼を言う登勢に、
モノーガワーダ::.….(沢山の水でうすめてから飲ませるように……)。」と説明して、
マダムクチャガは楽しそうに微笑した。パーシャ曹長は立膝をして珍らしそうに、
赤ん坊を見ていたが、真面目な顔をして、登勢に聞いた。
「グラース、スマトリ、イエスチー?。(目は見えるの?)。」登勢が
「グラースィェスチ、スマトリニェト(目は開いても未だ見えないのです)。」と答えると、
「ダ。ダー(そうですか?.)。」とうなずいて「ダスビダニヤ、フシボーハロージェ。
(さよなら、では御機嫌よう)。」と言って立ち上った。登勢の
「スパシーボ、ダスビダニヤ(有難う。さよなら)。」と言う声を後に、マダム違は
「フシェボハロージェ。」の声を残してぼろ官舎を出て行った。
風変りな見舞客の後発が見えなくなると、小吉が言った。「奥さん。たいしたもん
だね。自分達は一日中働いて十センチの固型石けん一コだのに、お産で寝ていて
稼ぐんだからね。羨ましい限りだ。」 「ロスキーのマダムも親切だね。」
「いいわね。沢山貰っちゃったわね。」樗木と柳沢夫人も幾分の羨望をこめて
口々に言った。
登勢は、〃どうしてマダムが私のお産を知ったのかしら〃と不思議に思った。
〃お隣りの官舎でさえ、皆が知っている事でもない出来事を、マダムクチャガは
誰から聞いたのだろうか?〃と考えていると、上敷領夫人と河島夫人が、
「如何ですか?。」と言いながら、登勢達の部屋へ入って来た
。
「今朝、表の通りへ出ると、髪のちじれた小柄なロスキーのカピタン(将校)に
出合ったの。」登勢は聞いていて、〃シンシャーカピタンだ。〃と思った。
「カピタンが、『吉田ドクトルマダムはハラシヨ?(元気かな?)』と聞くので、
手まねで大きなお腹を作ってから『オギャァ、オギャァ』と言うと、『ダーグ。』と
にこにこしてうなずいていたわよ。」
「どうりでね。先程マダムとその亭主の曹長と当番兵のマルキンが、お見舞に来て
呉れたのよ。お宅の小吉さんや皆さんに、すっかりお世話をかけてしまって、有難う
ございます。もう大丈夫。私はすっかり元気になbたわ。」
「遠慮しなくてもいいわよ。何でも手伝うから、ゆっくり寝てなさいよ。」
「そうよ。別に是非しなければならない仕事は無いのだし、何と言っても体が大切
なんだから。」「ええ、有難う。」登勢はぼろ官舎の人々の親切が身にしみて
嬉しかった。登勢はお乳もどうにか出て、産後一週間もすると、すっかり
元気になった。
二月に入って立春を迎え、さすがに暖かい日が続いた後であった。前夜から冷え込み
が酷しく、窓ガラスにはびっしり露が浮いて、おふとんも壁側が濡れて来ていた。
朝、目が覚めると一面の雪であった。凍りつく如月の寒さの中で、純白の雪に閉ざ
された秋乙は、美しく凍結した様に思われた。
〃内地へは何時頃還れるのであろうか?。〃と思いながら白い雪をじっと視つめて
いると、「故国の灯」を求めて三児を連れ、雪の肱野をさまよう敗戦の哀れさが
心に凍りついて、彼女を一層悲しくした。それは唯やる瀬ない望郷の念であった。
「奥さん。」上敷領夫人が入って来た。
「今ね此の間のちじれ毛のカピタンが、
「吉田ドクトルマダム。」と言ってこのぼろ官舎へ来たのよ。私の顔を見て、
「吉田奥さんに、セラーチ(洗濯)に来る様に伝えて呉れ。」と言って帰ったわよ。」
「あら、そう。」
「何でも『リース』(米)が沢山手に入ったからいらっしゃい。と言う意味らしい
事を言っていたわ。」
「そう。それじゃ早く行かなくちゃならない。」
その頃、平壌の郊外の炭坑へ順番割当で使役に行く人達の仕事の見返りに、石炭は
ソ連軍から貰う事が出来た。(それも荷車に綱をつけて皆で引いて帰ってくるので
あったが--)けれど食糧は日一日と乏しく、ぼろ官舎の人々にとって、食糧を確保
する事が、さしあたっての重大問題なのであった。
登勢は赤ん坊に乳を飲ませて寝かせると、良子と繁一を連れて二〇二号官舎へと出
かけた。ザクザクと鳴る雪を踏みくだきつつ……。
久し振りの外出に弾んでいる繁一の足元を用心して、広場の石段を下りた。
背中で足をぱたつかせながら良子が「キー(ロスキー)のとこへ行こうね。」と言った。
「母さんはお仕事があるから、お利口にしているのよ。」と話しながら官舎の門を
くぐった。しかし門の横の終戦の時サワサワと青葉を鳴らして、登勢達の心を慰めて
くれた桐の木はもう見られなかった。半月余り来ない間に、あたりが何となく変った
様なとまどいに、一瞬登勢はひるんだ。思いなおして積雪を踏んで入って行くと、
以前の防空壕の上に桐の木が根元から切り倒されて、雪をかぶって転んでいた。
「ドヴラヤウートラ(おはよう)。」と手に吸いつきそうに冷えた勝手口の取手を
思い切って引っ張ると、案外簡単に開いて、マルキンの愛くるしい顔がそこにあった。
先日のお祝いの礼を言うと、笑顔でうなづいた。
「吉田奥さん。イジスダー(此処へいらっしゃい)。」とクチャカマダムの声に招じられ
て入って行くと、マダムはにこにこしながら、オンドルの部屋の寝台に腰掛けていた。
「モノーガパダルクスパシーボ。(沢山の贈物を有難う)。」と礼を言うと、マダムは
登勢のお腹の小さくなったのを指差して愉快そうに微笑した。
「ティハラショ?(お元気で?)」
「スパシィボ、ハラショ(有難う元気です)。」
そこヘシンシャカピタンが現われた。彼は手まねを混えて登勢に言った。
「吉田奥さんセラーチラボート・…-(洗濯の仕事が沢山あるのでお願いする。マルキン
がお湯を沸かしているからお湯を使って……)。」
マルキンはマセック(絶無煙炭)を沢山投げ込んで、お風呂のお湯をどんどん沸かしていた。
シャツ、股下、作業用ズボンと上着等洗濯物は脱衣場に一杯になっていた。登勢は赤ん坊
をぼろ官舎に寝かせているので、急ぎたてられる思いで洗濯に取り組んだ。登勢はマダム
やカピタンの好意に応える為にも出来るだけ完全な仕事をしたいと思って汚れは丁寧に
石けんでこすった。汚れを充分に落して美しく洗いあげ力一杯に絞って四斗樽に入れた。
濯ぎも暖かいお湯を沢山に使って、洗濯は気持よく早く終った。洗い終った洗濯物は、
四斗樽に山盛り一杯に溢れた。四斗樽をマルキンがかけ声と共に戸外に運んだ。
四斗樽から溢れた分をバケツに入れて登勢も戸外に出た。
外は一面の銀世界で寒かった。軒から一杯に氷柱の下った物置小屋!。そこには
繁一や良子が可愛がっていた兎ももう居ない。物置小屋の柱から防空壕の上に一本だけ
残っている物干の柱にマルキンは、登勢に手伝わせて、綱を張り渡した。綱を張り
終るとマルキンは、濡れた洗濯物が一杯入った重い四斗樽を、「やっ!」と持ち上げて
15センチ程も雪の積もった防空壕の上に運んだ。子供じみた力自慢をマルキンに限らず、
ミッシャーでもイワンでもソ連兵はよくして見せた。登勢の方を向いてマルキンは、
「ヤ、ハラシヨ?(私はえらいでしょう)。」と尋ねるので、登勢は
「ダーハラショー(ええ、えらいわ)。」と答えて、真白な雪の上に張られた綱に
洗濯物をせっせと干した。洗濯物はまたたくまに凍でついて、風は冷たかった。
登勢もマルキンも無言でせっせと干した。干し終って、「オオ、ホロドノ(寒い)。」
「おお!寒む!。」二人が同時に云った。顔を見合せて肩をすくめ思わず笑った。
マルキンは再び云った。「吉田奥さん、ヤ、ハラショ?。」
登勢はマルキンが仕事の自慢をしているのだと思った。良い事も承知したと云う事も、
偉い事も何でもが、「ハラショー」でまかり通っていた。
「ハラショ!一」は登勢の知っている数少いロシヤ語の中では一番沢山の意味を持って
いる事に、登勢は気づかなかった。
マルキンが「私を好きか?」と問うた「ハラショー。」の意味が登勢には判らなかった。
登勢は微笑しながら、「ダー(ええ)ハラショー。」と答えた。
登勢は「マルキンは仕事熱心によく働く」と云う意味で云ったが……。マルキンは
笑いながら登勢の方へ二、三歩近づいた。驚いた登勢はさっと身をひるがえして、
バケツを持つと勝手口から家へ飛びこんだ。後からマルキンも家へ入って来た。室内の
ペチカは暖かく燃えていた。
冷えきった手足が暖まると登勢は帰る仕度を始めた。それを見てカピタン、シンシャー
がマルキンに米を一叺(三五K位)持って、登勢を送って行く様に言いつけた。
マルキンはジンジャーが登勢に親切にしすぎるのが一寸しゃくであった。
登勢の当番兵でもないのに。登勢はシンシヤーとマダムに礼を云って外に出た。
空には白い新月がうすく細く、白雲が昇華したかの様に懸かっていた。片手に洗濯板
を提げ、雪にすべりそうな繁一の手を引いて、登勢はぼろ官舎の幼い生命の危機も
知らずに、良子を背に歩を運んだ。
以前マルキンが乾パンを担って、登勢の後から送って行った時より、米の叺は重かった。
繁一の足に合せて、すべらぬ様にと用心しながら登勢がゆっくり歩くので、遂々
マルキンは先に立って歩き出した。
拾二、二歩先に歩いては雪の上に叺を下して立ち止り、「ヴイストロ、。ハィジヨン
(早くおいでー)」を繰返すのだった。
広場前の石段を登って踏み出した時だった。繁一の足がよろめいた。あっ!と手を
引いた拍子に登勢の足がすべつた。その時、横で叺を下して待っていたマルキンが、
さっと登勢を支えた。危うく重心を取り戻した登勢は、ねんねこの上からマルキンに
支えられて、一瞬!。礼を云うべきか?それとも怒って手を振りほどくべきか?に
とまどった。マルキンはにやっと笑って、肩をすくめて歩き出した。怒らなかった事
が誤解をまねく結果になる事等は思いもそめず、登勢は後から歩いた。ぼろ官舎に
着くと自称二十六才の少年兵はドサリと米の叺を廊下に下し、一つ大きく背のびを
して帰って行った。